制御不能前夜!『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』を3つの視点から解説【書評:レスラー夜話 #1】

『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』を3つの視点から解説する書評記事である。

人気レスラーに必要な素養とは何か。

僕は「物語のような人生を生きている」ことだと思う。

過去・現在・未来。物語を紡いでいるプロレスラーの自伝本は非常に興味深く面白い。プロレスファンならずとも、書籍を読むことで、魅力的な生き方に共感を受けると思う。

プロレスラーを目指したキッカケ、プロレスラーになるまで。デビュー後の葛藤。今どう生きているのか?

その価値観や生き様を書籍を通じ、学んでいくのが本連載「レスラー夜話」だ

第1回の書籍はこちら!

新日本プロレスブックス トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1

新日本プロレスブックス トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1

 

『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』を3つの視点から紐解いていきたいと思う。

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『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』のあらすじ

まず、『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』の目次について紹介する。

足立区の“テツ"/将来の夢は「ガソリンスタンドのおじさん」/武藤敬司の動きを完コピ/棚橋弘至のデビュー戦を観戦/アニマル浜口ジム入門/「手術しないとプロレスラーを目指せないよ」/「新日本プロレスへの想いは誰にも負けません! 」/バッグに棚橋Tシャツを忍ばせて/コーチ不在のトレーニング/“外様"とのデビュー戦/試練の五番勝負/デビュー1年目での『BEST OF THE SUPER Jr.』代打出場/「新日本の大会にだけ出たい」/同部屋のオカダ・カズチカ/スターダストプレス誕生/NO LIMIT5番勝負/IWGPジュニアタッグ戴冠/ノアへ殴り込み/棚橋弘至との初シングル/「どうせ、新日本は岡田なんですよ! 」/アメリカTNA参戦/メキシコCMLLで衝撃デビュー/アレナ・メヒコでのルチャ教室/何事も「トランキーロ」/人生3度目の坊主/凱旋帰国/IWGPタッグ戴冠/CHAOS入りの真相/『G1』初出場/『NEVER』への愛/棚橋と4度目の対決 ほか 出典:Amazon

『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』は内藤哲也選手の幼少期からはじまる。野球に打ち込んだ学生時代を経て、アニマル浜口トレーニングジムへ。そして、膝に発生したアクシデントを乗り越え、新日本プロレスの入門を掴み取った。

ヤングライオンを卒業し、 高橋裕二郎選手とのNO LIMIT結成。そして、プロレスラーを目指したキッカケとなる棚橋弘至選手との連戦までが、『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』の大まかな内容だ。

同書籍は“制御不能”になる以前の内藤選手が描かれている。棚橋弘至選手から、新日本プロレス本隊のエースを引き継ぐと期待されていた男がなぜ、全てを変える必要があったのか。その過去を赤裸々に語っている。

文体はインタビュー形式。新日本プロレスのスマホサイトに公開されていた内容が、再編集されているため、スラスラと読みやすい印象だ。

【1】“本音”を発することの大切さ

内藤哲也選手は言葉の大切さを説いている。

もう少し踏み込んで言えば、自分の本音を相手、周囲、世界に向けて発することの重要さをプロレスを通じて伝えているのだと思う。

2017年のG1クライマックスに優勝した内藤哲也選手は、試合後のバックステージでこう言い放った。

内藤「(※会見場に着くと、用意されていた椅子をどかし、立ったまま話し始める)ロス・インゴベルナブレスに出会ってから2年。あの出会いが、俺を変えたっすね。ま、まさにデスティーノ。運命ってことでしょう。思ってることはさぁ、声に出して言わないと誰にも伝わらないから。皆様を楽しませたければ、周りの目を気にせず、まずは自分自身が楽しむこと。それを、メキシコに行って、ロス・インゴベルナブレスの仲間たちに教えてもらった。彼らには感謝しかないっすね。グラシアス・アミーゴス!って感じっすね。
まぁ、明日、一夜明け会見的なものがあるんでしょう? 言いたいことは明日言いますよ。俺さぁ、もう疲れたんだよ。カンサードなんだよ。早く、休ませてくれよ。じゃあ皆様、またお会いしましょう! アスタルエゴ、アディオス!」 出典:新日本プロレス公式

G1 CLIMAX 27 2017年8月13日 東京・両国国技館<優勝決定戦> バックステージコメント

なぜ、この境地にたどり着いたのか。そこには、内藤選手の原体験があると思っている。

内藤哲也選手は新日本プロレスに一発合格を果たしているが、高校卒業後から5年間の月日を費やしている。

内藤選手が門を叩いたアニマル浜口ジムには、プロレス団体の入門テストを受験する際、必ず合格するという暗黙の了解が必要だった。更に、トレーニング中に右膝前十字靱帯断裂という大怪我も負っている。よほど強い意思がなければ、プロレスラーの道を諦める可能性もあったと思う。

そういった色々な困難を乗り越えて新日本プロレスの入門テストを受けた内藤選手は、会場で試験官を務めていた木村健吾氏に向かって、こう自己アピールした。

「木村さん!自分の新日本プロレスへの想い、新日本プロレスへのこだわりは絶対、誰にも負けません!内藤哲也よろしくお願いします。ありがとうございました! 」

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同入門テストで内藤選手は、ぶっちぎりの成績を残していたという。その上で、自分の気持ちを一番伝えるべき相手にしっかりと伝えた。

自分の気持ちに正直に向き合って、そのままのメッセージを届ける。その素養はプロレスラーになる以前から持っている内藤選手の強い武器だったのだ。

ただ、その言葉が裏目に出てしまった時期があった。そう、“制御不能”以前、“スターダスト・ジーニアス”時代である。

ファンに好かれたい。ファンが思うベビーフェイスでありたい。そういった想いは大切なもの。ただし、エゴを貫くことで輝きが増すプロレスラーという仕事においては、マイナスだったように思う。

自分の気持ちに改めて素直になる。素直になった自分が発する言葉にこそ、説得力が乗り、誰かを動かす力が生まれる。

本音とは読んで字の如く、本物の音色である。その人の本心から出た言葉。建前を取り除いた内側にある本当の気持ち。

本音を多くの人に届けることの大切さを内藤哲也選手は訴えている。

 

【2】ジェラシーという原動力

内藤哲也選手はジェラシーの塊である。おそらく、これまでの人生で多くの葛藤の中で生きてきたのだろう。

ただ、ジェラシーのエネルギーをうまく活用できれば、本人にとって大きな好影響がある。内藤哲也選手はジェラシーのエネルギー循環率が上手な生き方をしている。

『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』においても、2人のレスラーに強いジェラシーを感じているということが読み取れる。

  1. オカダ・カズチカ選手(当時、岡田かずちか選手)
  2. 棚橋弘至選手

運命の相手は直感で分かる

オカダ選手は中学を卒業後、登竜門を経て2007年7月に新日本プロレスに入門している。そんな彼に内藤選手がジェラシーを抱いたのは、テスト免除という事実があったためだ。

浜口ジムで一緒一緒に練習していた仲間たちには、テストに合格できなかった者もいる。

人生を左右する重要な局面を体験せずに、入門を果たした事実に納得がいかなかったという。

ただし、その身長の高さや若さ、運動神経やルックスには納得できない自分を通り越して、一目置いていたそうだ。

入門当初のオカダ選手は基礎体力がなく、道場で行われる合同練習にもついていくことができなかった。だが、涙や汗を流しながらも食らいつく姿勢に徐々に変なジェラシーは薄れていった。

一緒に買物に行ったり、釣りに行ったり。2人は距離の近い時期を過ごしている。

が、内藤哲也選手がアメリカTNAに長期遠征海が決まった際、普段飲まないお酒を飲みながら本音をぶちまけている。

「どうせ、新日本は岡田なんですよ!」と。

当時、オカダ選手はヤングライオン。だが、自身が納得できない海外遠征に向かう中で、ジェラシーを抱いている相手に危機感を感じていたそうだ。

オカダ選手のプレーデビュー戦を務めた内藤選手は「アイツとはこれから何年、何十年と競っていく相手だと思っている」と、語った。

デスティーノな相手は、初対面からすぐに分かるということなのかもしれない。

一瞬の切り替え。この人を超える

内藤哲也選手は棚橋弘至選手のデビュー戦を見て、プロレスラーになることを決意した。

ヤングライオンとして入寮した際の所持品は練習着とシューズ、プロテイン。そして、棚橋弘至Tシャツだった。

だが、新日本プロレスに入門したと同時に憧れという感情を切り替えた。

新日本プロレスのエースを引き摺り下ろすのは自分である、と。

内藤選手はCHAOSに籍を置いていた時期がある。この理由も棚橋弘至選手とは同じ側に立ってはならない、という理由があった。

つまり、VS棚橋弘至のためだけにCHAOSに加入したのだ。

それほどまでに、憧れたエースの存在は大きかったのだ。

棚橋弘至を超えて、自分が新しいエースになりたい。

このジェラシーは内藤哲也選手がヘビー級転向後、即トップ戦線に食い込んだ原動力だったに違いない。

前述した「どうせ、新日本は岡田なんですよ!」を言った相手は棚橋弘至選手である。

超えるべき壁であり、尊敬する先輩、ライバル。憧れだった存在とは、2018年現在でも競い合っている。

【3】パートナーと“パレハ”の違い

「“俺は両国のリングに“パレハ”を連れてきますよ」

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この言葉から始まった、ロスインゴ・ブレナブレス・デ・ハポン(LIJ)。

内藤哲也選手が車を運転し、移動はいつも一緒。ファミレスで作戦会議を行う。

また、常に競い合うことをモットーとし、競争意識がない人間は追放すると断言している。

そんな新日本プロレスひいては、日本のプロレス界を代表する少数精鋭のユニットを率いる内藤哲也選手はヤングライオン卒業時、タッグチームとしてその地位を高めていた。

タッグチーム名は『NO LIMIT』。タッグパートナーは現、BULLET CLUB ELITEの高橋裕二郎選手だ。

この2人が組んだ目的は明確で、それぞれが地位を高めることだった。

高橋裕二郎選手は自身が先輩だが、試合を引っ張っているのは内藤哲也選手だったと当時を振り返る。

また、メキシコ、アメリカと苦楽を共にする関係ではあったが、試合とプライベートでは一線を引く関係だったようだ。

メキシコの水が合った内藤哲也選手。アメリカの空気が馴染んだ高橋裕二郎選手。

この2人がいつか別れてしまうのは、必然だったのかもしれない。

結果、内藤哲也選手がシングル戦線に自身の今後を見定めた時、高橋裕二郎選手は三行半を返した。

『NO LIMIT』は終焉を迎え、本隊とCHAOS。それぞれの道を歩みだす結果になってしまった。

その経験を糧に内藤哲也選手は新しい道を歩みだした。だが、その道は平坦なものではなかった。

全国各地でのブーイング。更にこの書籍ではまだ辿り着いていないが、2014年のイッテンヨンがファン投票となった際、この言葉が突きつけられたという。

「お前のせいで、オカダがセミに降格した」と。

高橋裕二郎選手はタッグパートナーとして、自身の価値を高めるには最適の相手だった。ただ、“相棒”ではなかった。

この経験から学んだ内藤哲也選手だからこそ、ロスインゴ・ベルナブレス・デ・ハポンが上手く機能しているに違いない。

あの日、高橋裕二郎選手とタッグを解消したこと。その結果、内藤哲也選手に芽生えた感情。その道のりが、現在会場で行う大合唱の際、“パレハ”の名前を発することにつながっているのかもしれない。

“パレハ”とは、濃い時間を共に過ごし、本音を言い合い、それぞれが高め合う関係でなければいけないと。

パートナーと“パレハ”。

相方と“相棒”。似ているようで大きく違う。そんなパートナーとの関係を経験したからこそ、現在のロスインゴ・ベルナブレス・デ・ハポンの躍進があるのかもしれない。

「EVIL、BUSHI、SANADA、ヒロム、イ・内藤。ロス・オルトロス!ロス・インゴベルナ~ブレ~ス! デ! ハポン!」には、NO LIMITで経験した内藤選手の魂がこもっているのだ。

新日本プロレスの主役

内藤哲也選手の自伝を通じて、自分の言葉を持つことの意味。ジェラシーを力に変える意義、相棒との関係作りについて学ぶことができた。

当前だが、『内藤哲也自伝 EPISODIO1』にはこれ以外の要素もたくさん詰まっている。

また、『内藤哲也自伝 EPISODIO2』は2019年春頃の発売を予定しているという。まだまだ焦る時期ではないが、時間の空いているときに、 『トランキーロ 内藤哲也自伝 EPISODIO1』を読むことをお勧めしたい。

歴代最高の盛り上がりを見せる新日本プロレス。その主役の人生は一見の価値がある。

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