帝王はきっと蘇る。『TAKAYAMANIA EMPIRE』は未来への第一歩だ
2018年8月31日(金)、午後の打ち合わせが終わった僕は水道橋へと移動した。後楽園ホールで行われる『TAKAYAMANIA』の建国に参加するために。
無事、当日券を先頭で手に入れることができた。だが、試合まではまだまだ時間がある。現在、試合前の串揚げ屋でこの記事を書いている。
試合のレポートは専門誌に上がると思うので、ここでは何を感じたか?という面で筆を進めていきたい。
高山選手と僕と彼女
2016年からプロレスにハマった僕は、高山善廣選手との関連性は薄い。新日本プロレスしか見ていないので、尚更だ。
歴史を学ぶに連れて、日本を代表する名レスラーであることは学んだ。中邑真輔選手との一戦で入った膝は、まさに凶器だった。
そして、事故についてもSNSを通じて知っていた。僕の“パレハ”があんな顔をしたのはあの日以来一度も見ていない。
ただ、高山選手については、2つ記憶に残っていることがある。
まずは、高山選手対ドン・フライの一戦だ。格闘技自体に興味が薄かった18歳の僕でもこの試合は知っていた。壮絶な魂のぶつかり合い。人も人が殴り合うというのは、こんなにも言葉にならない感情を生み出すのかと、絶句していた。
美しさと怖さ。
この2つが入り混じった死闘は今でも覚えている。
次に、高山選手が僕の当時付き合っていた最愛の女性の働いていたバリ式マッサージの店舗に度々来ていたということだ。
「金髪で大きくてカッコいいプロレスラーの人!今日も来たよ!」
「それだけじゃ分かんないよ(笑)名前は?」
「たかやまさん?」
「えっ!?すごいじゃん!あの高山さんでしょ!?握手してもらった!?」
「仕事中だからそんなお願いできないよ(笑)。気持ち良さそうにしてて、いつも寝ちゃうの。帰りもお礼言ってくれるんだ。でも、身体が大きいし、筋肉すごいからいつも大変で・・・」
こんな会話をしたことを今でも覚えている。
帝王は僕が知らないプロレス界を席巻していた。そして、愛していた女性の施術を受けていた。
そんな“帝王”の王国が建国するのだから、足を運ばない理由がなかった。
後楽園ホールにて
会場に到着後、グッズコーナーへ。
「高山選手への募金お願いします!」
気持ちのいい声が耳に届く。その道を歩きながら早速Tシャツを購入。
少し奥に進むと山崎一夫さんの姿が。ドキドキしつつ、募金すると山崎さんの方から握手をしてくれた。
「NO FEARでお願いします」とご相談すると快く応じていただいた。
Tシャツを着替えて会場入り。プロレス見るならやっぱりプロレスTシャツを着る。
登山には登山靴を。式典には礼装を。プロレス観戦ならプロレスTシャツを。
僕が短いながらもプロレスを観戦する中でこだわっているポリシーだ。
永田裕志選手のマイク
高山選手プロデュースの興行はバランスの取れた試合が繰り広げられた。
永田裕志選手が試合後、マイクを手に取り、“帝王”へのメッセージを伝える。
視界がぐちゃぐちゃになって、この辺りは記憶が飛んでしまった。
休憩明けにはスタン・ハンセン、天龍源一郎、武藤敬司、小橋建太、安生洋二、宮戸優光、柿原賢人、山本喧一、丸藤正道、ヒデオ・イタミ、高田延彦から激励のムービーが。
歓声に包まれる会場に更なるビックサプライズが。
前田日明がリングに現れたのだ。
「プロレスラーの身体は、神経で動かすんじゃないんだよ。“魂”で動かすんだよ!」
同じUを背負った男の叫び。僕の感情が弾けた。
“帝王”は蘇る
メインイベントでは、鈴木みのる選手が「ゴッチ式パイルドライバー」でTAKAみちのく選手をマットに沈めた。
徹底的に技を受けたTAKA選手。高山選手が今、戦っている相手もこのように徹底的に痛めつけられているのだろう。
事実、回復の見込みがないとまで言われた症状が回復に向かっているという。
その報告は高山選手本人から行われた。
足の蹴る感覚が戻ってきたという。
奇跡なんかじゃない。“帝王”だからできた現実だ。
みのる選手がマイクを握り、会場全体がスタンディングで「NO FEAR」を絶唱し、『TAKAYAMANIA』は幕を閉じた。
高山選手の復帰を僕は心から願っている。
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