SANADAとザック・セイバーJr.のダブルフォールについて

SANADAとザック・セイバーJr.のダブルフォールについて書いていきたい。

僕がプロレスにハマってからそろそろ4年が経つ。

沢山の試合を見てきた中で「まだこんな展開ぎあるのか!?」と驚かされたのが2021年7月23日の「映画『ゴジラvsコング』PresentsSUMMER STRUGGLE in OSAKA」大阪・大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)大会セミファイナルだった。

“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”SANADA選手と“鈴木軍”ザック・セイバーJr.選手による「IWGPタッグ」の前哨戦でサプライズは起きた。

これまで幾度となく好勝負を見せてきた2人の試合。

今回の結果は“ダブルフォール”だった。

「ダブルフォール???」

ザック・セイバーJr.選手は「ウソ!ウソ!!ウソ!!!」と叫び、棚橋弘至選手が解説席で(自分の現役生活の中で)新日本プロレスでは見たことがないと語った。

引き分けに納得がいかない2人はスモールパッケージホールドを掛け合い、何度も何度も自分の方が上だと押さえ込み合戦を繰り返す。

花道を引き上げる2人。

新日本プロレスにライバル関係は数多くあれど、この2人の魅せる世界観はまさしく“名勝負数え歌”がしっくり来る。

 

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ダブルフォールとは?

新日本プロレスの歴史にダブルフォールがないのであれば、他団体で調べてみようと思うのがプロレス好きの性だ。

ヒットしたのは奇しくも全日本プロレス。

SANADA選手がプロレスキャリアをスタートした団体である。

(僕が調べたところ)2度ダブルフォールがあったらしい。一度は1982年6月8日のの東京・蔵前国技館大会。

ジャンボ鶴田さんがリック・フレアーが持つ、NWA世界ヘビー級選手権に挑戦し、ダブルフォールが成立している。

次はNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王者の大仁田厚選手(当時、全日本プロレス)が前王者のチャボ・ゲレロと対戦した1982年7月30日の川崎市体育館大会。

試合後、大仁田厚選手は「もう1回やらせてください」と泣きながらコメントを残したとのこと。

“涙のカリスマ”前夜であり、僕も生まれる前のエピソード。こうしてみるとNWA絡みで起こっていた“ダブルフォール”が令和の新日本プロレスで再び実現したことは非常に興味深い。

 

喧嘩するほど...仲がいい?

バックステージでのコメントは以下だ。

ザック「試合のビデオを見ないと……」
SANADA「そうしてくれ」
ザック「言われなくてもそうするよ! 俺の肩は上がってたぞ!」
SANADA「いや、いや、いや、それは俺の方だ!」
ザック「そんなはずはない!」
SANADA「それはお前の方だ」
ザック「どこで試合のビデオを見ればいいんだ? この会社のレフェリーは役立たずしかいないからな。ロボットを導入したらどうだ? そっちの方が正確だ! ウンノは信用できない。誰ひとりこの会社のレフェリーは信用できない」
SANADA「俺の肩は上がってた」
ザック「上がってたのは俺の方だって言ってるだろ!」
SANADA「オイオイ、まさか。そんなはずない」
ザック「お前、試合中に頭から落ちておかしくなったんじゃないか? 勝ったのは俺だ」
SANADA「ノー、ノー、ノー」
ザック「俺はビデオを見てくるぞ」
SANADA「どっちが勝った?」
ザック「知らねえよ。だから今から一緒に見に行って確認すればいい。その後でスガバヤシに抗議だ」
SANADA「プリーズ」
ザック「じゃ、着替えてからだ。それから放送室に行って一緒に見る。そしたらどっちが勝ったのかちゃんと分かるだろ。SANADA、この野郎が!」

出典:新日本プロレス

 

もう一つ海の向こうで事件が

AEWで行われた「IWGP USヘビー級選手権試合」でジョン・モクスリー選手がランス・アーチャー選手に敗れ、王座陥落。

新日本プロレスからAEWに主戦場を移したランス・アーチャー選手が再び「IWGP USヘビー王座」を戴冠する事件が起こった。

しかも次のチャレンジャーはヒクレオ選手ときたものだ。

誰がこの展開を想像できただろうか。

アメリカの地でじわじわと何かの流れができ始めている。

新王者ランス・アーチャー選手が新日本プロレスのレスラーをチャレンジャーに指名する。そんな日も近いのかもしれない。

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