タマ・トンガが降らせた涙の雨

2021年10月14日、タマ・トンガ選手が「G1クライマックス31」でオカダ・カズチカ選手から公式戦で勝利を挙げた。

試合前、多くのファンがオカダ・カズチカ選手の勝利を予想していたのは間違いない。

再び“レインメーカー”を名乗り、ここまでリーグ戦無敗。マネークリップを中盤、開脚式パイルドライバーを終盤に組み込んだファイトスタイルが猛威を振るっている。

今のオカダ・カズチカ選手に勝てるレスラーは「G1クライマックス31」の両リーグにもいないのではないだろうか。

これがファンの期待値であり、これまで“レインメーカーオカダ・カズチカ”が築き上げてきた確固たるブランドなのだ。

リーグ戦全勝。優勝決定戦に勝利し、完璧な状態で「IWGP世界ヘビー級王座」を初戴冠する。

そんな未来図に待ったをかけたのが“バレットクラブ”のタマ・トンガ選手だった。

“バレットクラブ”のオリジナル・メンバーであり、一度たりもユニットを離れたことがない苦労人。

リーダーが次々と入れ替わってもマザーシップを支える存在として、“バレットクラブ”の魂を守り続けてきた。

そんなタマ・トンガ選手が彼自身が世界最高のレスラーだと認めているオカダ・カズチカ選手と真っ向からぶつかった。

結果はDSD(DiveShackDriver)で勝利。2020年以降、低迷していた頃のオカダ・カズチカ選手ではなく、完全復活を遂げた“レインメーカー”に勝ったのだ。

そして、勝利を掴むまでの過程があまりにもエモーショナル過ぎた。

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試合終盤

タマ・トンガ選手が試合開始前からビルドアップされた上半身を見せるなど、これまでの公式戦以上に気合がみなぎってことは言うまでもない。

ただ、それだけで倒せるほどオカダ・カズチカ選手は甘くない。だからこそ、勝利するためには何か秘策が必要だったのだ。

試合後半、何度も何度もガン・スタンを狙いに行く。

カール・アンダーソン選手の退団後、彼のフィニッシャーであるガン・スタンを新日本プロレスのリングで使い続けてきた。

これが伏線になった。

初代リーダープリンス・デヴイット選手(現、フィン・ベイラー)のブラディサンデーを見舞ったのだ。

これで一気に流れが変わった。

開脚式パイルドライバーをガン・スタンで切り返し、最後はDSDを見舞いフィニッシュ。

タマ・トンガ選手の勝利であり、“バレットクラブ”の勝利だった。

“レインメーカー”が誕生した2012年。そこから1年後の2013年に“バレットクラブ”は誕生した。

オカダ・カズチカ選手が棚橋弘至選手を再び大阪の地で破ったことで、完全復活を成し遂げたのであれば、この試合が新しい“バレットクラブ”の分岐点になるかもしれない。

そう思わせるような試合だった。

 

メガネくん

「えっ!?“バレットクラブ”?」

「そうだ!俺たちがどんなに活躍しても、どんなに頑張っても全く日本のメディアは取り上げてくれないだろ?それに、評価もしてくれない」

「確かにそうだな」

「俺はデヴィットと組む。お前はどうする?」

「オレハ...」

2013年。福岡の地で“バレットクラブ”は誕生した。

タマ・トンガ選手はオリジナルメンバーとして加入したが、新日本プロレスからの期待値はそこそこという感じ。

これは以前に公開されたインタビューで彼も語っている。

――2013年の両国国技館で開催された『INVASION ATTACK』では、プリンス・デヴィット選手がApollo55のタッグパートナーだった田口隆祐選手を裏切り、バッドラック・ファレ選手をボディガードとして仲間にしました。後に、これがBULLET CLUBの誕生となりますが、当時タマ選手はそのことに気付いていましたか?

タマ その答えはノーだ。その話の前に、ファレはオフィスから海外遠征に行くチャンスが与えられていた。俺にはそんなチャンスすらなかったけどな?(苦笑)。俺も当時、ほんの数週間だけニュージャパンを離れていたことはあったけど、ファレの海外遠征とは根本的に意味が違っていた。当時、まだ下っ端だった俺が知っていたのは、あの大会でファレがニュージャパンに戻ってきたこと、デヴィットと一緒になったってことだけだ。

――アンダーソン選手はどんな反応をしていましたか?

タマ 俺は何もわかってなかったと言ってるだろ? 唯一わかっていたのは、カールが俺のメンター(指導者)であり偉大な“センパイ”だったということだけだ。カールの行くところには俺も付いて行く。それ以外、まったく何も考えなかった。BULLET CLUB結成の話が持ち上がった時にも、シンプルに「オーケー。これがいまから俺たちのすべきことなんだな?」と思っただけだ。

――2013年の5.3福岡でアンダーソン選手が棚橋選手と闘った後、デヴィット選手とファレ選手が襲撃しました。アンダーソン選手は棚橋選手をガンスタンで沈めた後、4人はリング上で正式にBULLET CLUBを結成しました。

タマ ああ。さっきも言ったように、マシンガン(アンダーソンの愛称)は俺のメンターだった。だから彼の行動に対して、一切の疑問は抱かなかった。あの頃の俺はまだまだヤングボーイだったし。デヴィットがリーダーということとアンダーソンと一緒に仕事をやること以上に、BULLET CLUBというユニットに関して、くわしいことは何も理解していなかったんだ。

出典:新日本プロレス

「デヴィットもAJもいなくなった」

「カールもやめるそうだ...」

「エリートのやつらは“バレットクラブ”を私物化しやがった」

「マジかよEVIL...。こいつを信じてもいいのか...?」

ユニットを長年続けていれば、悩みなんていくらでもある。繰り返される離脱と加入。

社会状況の変化に伴い、来日すること自体でのストレスも半端じゃない。

それでも、彼は新日本プロレスのリングを選び、苦しい状況もファンと共に耐えてきてくれた。

侮ってはいけなかった。彼も努力をし続けてきた男なのだ。

 

チャンスの神さまは前髪しかない

ここからは、タマ・トンガ選手に対する個人的なイメージを書きたい。

身体能力に優れ、試合運びも安定している素晴らしいレスラー。強くて、上手い。いいレスラーだし、欠かせないレスラーだと思う。

ただ、一番好きな“ガイジンレスラー”を言ってみて?と言われたら、僕は一番に名前を挙げることはなかった。

強い個性を持った者たちがひしめき合うリングにおいて、彼には華が足りない印象があった。

華。“バレットクラブ”のリーダーで例えたら分かりやすいか。

プリンス・デヴィット選手、AJスタイルズ選手、ケニー・オメガ選手、ジェイ・ホワイト選手。彼らには華がある。

華とは単純なビジュアルの良し悪しを超えたところにあるもの。天性の要素が大きく、同じフィールドに立ってしまったらどうしてもその差が浮き彫りになってしまう。

端的に言うと、2人並べた時に、どちらに目を奪われるかという話だ。

かつて内藤哲也選手もこの壁にぶち当たった。内藤哲也選手も華を持ったレスラーであることは間違いない。

ただ、棚橋弘至選手とオカダ・カズチカ選手に挟まれてしまったのだ。

100年に一人の逸材とレインメーカーの華は半端じゃない。そんな彼らに追いつき、追い越すために彼は自分の華に制御不能という名の毒を含ませた。

華の大きさでは勝てなくとも妖艶な色は多くのファンを惹きつけ、“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”旋風が巻き起きたのは多くのファンが知る事実だろう。

内藤哲也選手ですら何度もジャンプ台に乗ってもチャンスを掴むことができなかったのだ。

この勝利でタマ・トンガ選手がいきなり天下を取れるかと言われると中々に厳しいと思う。

ただ、この勝利が浮かび上がらせたものは大きかった。

新日本プロレスのファンはタマ・トンガ選手を愛している。これがハッキリと浮き彫りになったのだ。

タマちゃんがTwitterのトレンドに入った。#飯伏寝ろ と併せて、“バレットクラブ”がTwitterを占拠したした日と言っても過言ではない(ある)。

最後に。

年齢と共に価値観は大きく変化していく。子供の頃、「スラムダンク」で好きなキャラクターと言えば、三井寿や仙道彰だった。

だが、年齢を重ねていくと木暮公延ことメガネくんにハマっていく者も多い。

常にチームのことを考える愛すべき苦労人。

そんな漢が実は一番カッコイイのではないかと、改めて気付かされた日になった。

Congratulation Tama!You are very cool!

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