なぜ、新日本プロレスはベビーフェイスとヒールの境界線が曖昧になったのか
ベビーフェイスとヒール。
メキシコではテクニコ、ルードと呼ばれる。
正義の味方が悪をやっつける。仮面ライダーや戦隊ヒーローが描く勧善懲悪の世界。
誰が見ても分かりやすく、感情移入がしやすい世界観だ。
ただ、近年の新日本マットを見てみるとベビーフェイスとヒールの境界線が曖昧になり、複雑化しているように思える。
例えば、現在の新日本プロレスを席巻するベビーフェイスでもヒールでもない“制御不能”なユニット『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』。その輝きは凄まじく、ユニット結成後は、飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムへと駆け上がった。
内藤哲也選手、EVIL選手、BUSHI選手、SANADA選手、髙橋ヒロム選手の5人の見た目は明らかにベビーフェイスのそれではない。
だが、結成当初こそ試合への介入やラフファイトが横行したが、最近では内藤哲也選手が唾を吐きかけることやEVIL選手のイス攻撃、BUSHI選手の毒霧を除き、クリーンなファイトへと変化した。2018年現在、彼らにブーイングを送る観客は一部を除いて存在しない。
ベビーフェイスでもヒールでもない存在。僕はこの存在をヒール2.0だと定義した。
ベビーフェイスとヒールの世界観から抜け出した新日本プロレスの世界。今回はプロレスの歴史を紐解きつつ、棚橋弘至選手がケニー・オメガ選手にイデオロギー抗争を仕掛けた理由について考察していきたい。
- 戦後の日本とベビーとヒールと
- 黒のカリスマがヒール2.0を生み出した
- ブーイングを浴びるベビーフェイス
- 制御されていた“星屑”と金の雨を降らす男の現実
- 次世代のエースはベビーフェイスの洗礼を受けた
- 6つのキャラクターが群雄割拠するマット
- イデオロギー抗争
- 新世界の新日本の幕開け
戦後の日本とベビーとヒールと
1950年代。敗戦後の日本には大きな反米感情があったという。僕のように今のプロレスしか見ていない人間には想像もできなかったことだが、当時のプロレスは、日本人対“ガイジン”の試合がメインイベントだった。
巨体の“ガイジン”が、日本人レスラーを追い詰める。
そこに観客はブーイングを送る。
「俺たちの英雄に何をするんだ!」と。
その声援を受け、日本人レスラーは起死回生の一撃を放ち逆転勝利を収める。
街頭テレビに映し出されるその光景に観客は心を震わせ、明日への活力を見出す。
その主役は日本のプロレス史にとって欠かすことがなできない力道山先生だった。
当時のプロレスは、勧善懲悪の世界でありベビーフェイスが絶対の支持を浴びていた。
日本人対決はタブーと言われた時代だった。
黒のカリスマがヒール2.0を生み出した
戦後の復興を経て、高度経済成長期へ。バブル経済が弾けた後には、勧善懲悪の世界観にも変化が生じてきた。
時は1990年代。
『スラムダンク』や 『幽☆遊☆白書』など、不良が中心となる漫画が増えた時代である。
明るくていい奴よりも、悪いやつの方がクールでカッコいい。
悪いけど優しいところに魅力を感じる。そんな新しい価値観が定着した頃に、新日本マットには“黒のカリスマ”が現れた。
闘魂三銃士の中で最も地味だと言われていた蝶野正洋選手が魅せた新しい姿は、民衆を惹きつけた。
nWo、nWo JAPAN、TEAM 2000。
これまでブーイングの対象であったヒールが、歓声を集める時代へ。
そして、タブーと言われていた日本人対決は当たり前の光景となっていた。蝶野正洋選手のライバルは同期の武藤敬司選手だった。
戦後の復興を乗り越えたプロレスは、隣のライバルに負けないという、日本の競争社会を象徴するものになった。
1990年から2000年代。新日本プロレスのマットのヒールは“ダークヒーロー”へと変貌を遂げた。ヒール2.0時代の到来だった。
ブーイングを浴びるベビーフェイス
“100年に1人の逸材”棚橋弘至選手は希代のベビーフェイスである。
長期海外遠征の経験の無い、完全純正培養。新日本プロレスを体現しているレスラーと言っても過言ではないだろう。
ただし、棚橋弘至選手はベビーフェイスでありながら、ある特徴を持っている。
声援とブーイング。両方を浴びることができるベビーフェイスであるということだ。
終生のライバルである中邑真輔選手から遅れること3年。2006年7月17日、棚橋弘至選手は3度目の挑戦にして悲願のIWGPヘビー級ベルトを戴冠した。
今では、試合後に誰しもが待ち望む言葉。心からの絶唱が誕生した瞬間である。
「愛してます」
涙ながらに訴えた彼を待っていたのは、ファンからの熱い声援ではなく、ブーイングだった。
“黒のカリスマ”が作った新たなプロレスの世界観は、ベビーフェイスであれば声援を浴びることができる価値観を壊した。
ベビーフェイスでもお客様を納得させなければ、価値を提供しなければ、愛されなければ観客を味方にできない時代になったのだ。
ダークヒーローよりもカッコいいヒーローでなければ認めることはできない。
この流れは2018年でも続いている。2017年、棚橋弘至選手が内藤哲也選手に挑戦した際、ブーイングを浴びたことからもそれは明らかだ。
キング・オブ・ストロングスタイル
その後、棚橋弘至選手は全力で愛を伝えた。真剣に愛を伝える彼の姿勢は、市民権を得た。
いつしか“キラー棚橋”という言葉が生まれたように、ベビーフェイスのままヒールのアクションを魅せる新しい一面も覗かせるようにもなった。
その一方で、もう1人のスーパースターが本当の意味で誕生した。現、WWE・中邑真輔選手だ。
“選ばれし神の子”の二つ名を背負い、IWGPヘビー級ベルトを最年少で戴冠。この記録は2018年現在も破られていない。
総合格闘技の世界でも頭角を現し、プロレスラーは強いという現実を守った。
だが、中邑真輔選手も観客から受け入れられたとは言い難い時期があった。
総合格闘技では相手に勝てても、プロレスの実力がそこに追いついていなかった、と本人は当時を振り返っている。
そんな彼の転機は2009の年メキシコ遠征だった。
当時のメキシコ人プロモーターは驚愕したらしい。「新日本プロレスの中邑真輔にオファーをしたら、全然違うレスラーが現れた」と。
そう、何かを変えるべく中邑真輔選手はクネクネとした動きを取り入れた。髪もモヒカンにした。
脱力をテーマに総合格闘技の世界で戦ったロックスターは、自分だからこそ辿り着ける境地を発見した。
中邑真輔選手はこの遠征以降、本格的なダークヒーローになったのだ。
2000年代後半の棚橋弘至選手と中邑真輔選手が紡いだストーリーは余りにも多い。
そして、2010年代頃には単純なベビーフェイスとヒールの時代は幕を降ろしていた。
格闘技ブームも落ち着き、プロレスはエンターテイメントとして本来の地位を取り戻しつつあった。
そして、ベビーフェイスとダークヒーロー(ヒール2.0)は更に新しい局面へと向かっていく。
制御されていた“星屑”と金の雨を降らす男の現実
内藤哲也選手とオカダ・カズチカ選手。
彼らがベビーでもダークヒーロー(ヒール2.0)でもない複雑な世界観を完成させたと僕は思っている。
この2人は新日本プロレスで初となるファン投票で2014年のイッテンヨン、メインイベントを逃した2人でもある。
2010年代の日本
2010代の日本はヒーローの定義自体を改めて考え出した時代である。
アニメ『ガッチャマンクラウズ』の主人公は、ヒーローに選ばれた後にも「ヒーローって何すかね?」と自分、周囲に問い続けた。
そもそもヒーローとは何か。ベビーフェイスとは何か。この命題に向き合い出した時代に内藤哲也選手とオカダ・カズチカ選手は台頭した。
強すぎる男
オカダ選手は凱旋帰国後、中邑真輔選手の記録には届かなかったものの、24歳でIWGPヘビー級王座に輝いた。
そんなシンデレラストリーに傷がついたのがファン投票だろう。新日本プロレスで最も権威のあるベルトの価値を自分が下げてしまったと、自責の念は大きかったに違いない。
それから4年。棚橋弘至選手、AJスタイルズ選手とベルト戦線を歩んできたオカダ選手は、絶対無欠のチャンピオンとなった。
だが、連勝を重ねるに連れ、強すぎるチャンプに届いたのは、凱旋帰国時のようなブーイングだった。
試合開始当初は挑戦者に歓声が集まる。
この事実についてオカダ選手は「自身が強すぎる」と語った。強すぎてブーイングが飛んでしまう。“ガイジン”ではなく、日本人がこの領域に達した瞬間だった。
2018年、特に印象に残った出来事がある。
2018年2月10日に行われたオカダ・カズチカ選手対SANADA選手のIWGPヘビー級タイトルマッチにてそれは起こった。
SANADA選手に勝利したオカダ選手へ会場から「帰れ!」という罵声が飛んだ。
「もう少ししたら帰るから、ちょっと待ってくれ!」と、涼しく切り返したオカダ選手だが、ベビーフェイスとヒールの構図が成立していないことを証明した事象だった。
ダークヒーローからヒーローに
オカダ・カズチカ選手は凱旋帰国時、間違いなくヒールだった。
茨の道を歩き栄冠を掴んだピープルズチャンプ棚橋弘至選手に、2012年のイッテンヨンで挑戦表明を行った時、東京ドームは大ブーイングに包まれた。
だが、前哨戦を経てタイトルマッチに勝利した瞬間にヒールからダークヒーローへと変貌を遂げようとしてした。
若く才能に溢れ、太々しい。マネージャーまで付けている新時代のダークヒーローは、ここから常にトップ戦線を走り続けた。
そして、ダークヒーロー(ヒール2.0)から自然とヒーロー(ベビーフェイス)になった。
2017年、本物から“超人”になった瞬間が、明確な分岐点だったように思う。
ただ、この変化は棚橋弘至選手が体感したベビーフェイスがブーイングを受ける世界観の中に入ることを意味していた。
次世代のエースはベビーフェイスの洗礼を受けた
2012年、オカダ選手は棚橋選手を破り、IWGPヘビー王座ベルトを戴冠した。
そこに挑戦表明したのが、本来次世代のエース候補と呼ばれていた内藤哲也選手だった。
内藤少年は武藤敬司選手に憧れ、新日本プロレスに憧れを持った。そして、棚橋選手のデビュー戦を見て、プロレスラーになることを決めた。
持ち前の運動神経とプロレスセンスで着実にトップ戦線に絡んでいたところを同部屋だった後輩に軽く抜き去られた。
この挑戦表明は、当然の結果だったのだろう。
タイトルマッチ当日、ダークヒーローとして完成していなかったオカダ選手とベビーフェイスの内藤選手の試合は、内藤選手に歓声が集まった。
だが、徐々にオカダ選手への声援が増える。
必殺の「レインメーカー」でタイトル防衛。その後のマイクで「気付くのが遅いよ!俺は本物だ!」と会場に向けて言い放った。
本物=ダークヒーロー(ヒール2.0)。
くしくも内藤選手がオカダ選手を本物にしてしまったのだ。
ここから内藤選手は膝の負傷により長期離脱。復帰後にG1クライマックスを制し、再度オカダ選手に挑戦した。この勝負にも敗れてしまった。
ダークヒーローよりもカッコいいヒーローでなければ認めることはできない。
ベビーフェイスとして歩んでいた内藤哲也選手はここから入場するだけで、ブーイングを浴びることになる。
最初は一部の観客がはじめたことだった。だが、それが広まっていった。
不甲斐ないヒーローに世間の目は冷たかった。
ベビーとヒールの狭間へ
2015年、失意の内藤哲也選手は第二の故郷とも言える、メキシコへと渡った。若手時代に長期海外遠征を経験した場所であり、自身が認められている国で何かを掴もうとした。
そこで、ラ・ソンブラ選手とルーシュ選手が結成していたテクニコでもルードでもないニュートラルなユニット、『ロス・インゴベルナブレス』に電撃加入を果たした。
“黒のカリスマ”が『nWo』でヒールからダークヒロー(ヒール2.0)に変貌を遂げたように、“制御不能のカリスマ”は『ロス・インゴベルナブレス』で、ベビーフェイスからダークヒーロー(ヒール2.0)への転身するキッカケを掴んだのだ。
標的は新日本プロレス
ダークヒーローとなった内藤選手は“パレハ”を集め、新日本マットを席巻していく。
標的はレスラーではなく、新日本プロレス。つまり、団体への批判であった。
会場で観戦しないオーナーを引きずり出し、棚橋選手の言うことだけを認めることを遮断した。その結果、異常なまでの民意を得た。
現在、新日本プロレスを観戦するために足を運ぶと、『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』のグッズを身につけたファンが大半である。
内藤「今日は日曜日? ドミンゴ? いや、CMLLはさ、毎週日曜日アレナメヒコで試合してんだよね。今日俺、てっきり朝起きた時、『あぁ、アレナメヒコ行かなきゃ』って思っちゃったよ。それぐらい俺、ちょっとメキシコの空気を吸い過ぎてまったかなと。あの空気が懐かしいなぁ、恋しいなぁ。俺はCHAOSではない。もちろんBULLET CLUBでもない。ましてや本隊でもない。俺の居場所は……ロス・インゴベルナブレス」 引用元:新日本プロレス公式HP
ベビーフェイスでもヒールでもない――。
現代の新日本プロレスマットを象徴する言葉を真っ先に取り入れた内藤選手。ファーストペンギンにこそ価値があることを、自身で証明した形となった。
一方で、2018年の内藤選手からは批判的なメッセージが鳴りを潜めている。ファミレスで時折発信はしているが、印象は薄いイメージだ。
ここから先に向けての準備期間か、ダークヒーローからの更なる脱皮を図るのか。内藤選手の中には、僕には想像も付かないマグマが蠢いている。
6つのキャラクターが群雄割拠するマット
現在の新日本マットでは、6つの個性が存在すると僕は思っている。
- ベビーフェイス(純粋)
- ベビーフェイス(ブーイングを浴びるベビー)
- ヒール(純粋)
- ヒール(まだ支持率の低いダークヒーロー)
- ダークヒーロー(声援を集めるヒール)
- ヤングライオン
本隊がベビーフェイス、各ユニットがヒールになるが、実際に思い浮かべてみると分かりやすいと思う。
ヤングライオンを除く、5つの個性を選手たちは往き来している。
例えるならば、純粋なベビーフェイスは田口隆祐選手や本間朋晃選手である。
純粋なヒールといえば『鈴木軍』が当てはまるが、2018年以降ダークヒーローへ進んだ印象がある。
鈴木みのる選手は“世界一性格の悪い男”から“プロレス王”へ。タイチ選手に飛ぶ声援は「レッツゴー!タイチ!」になった。
『BULLET CLUB ELITE』は『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』とは違った意味でのダークヒーロー集団である。
現在のヒール(純粋)には、『BULLET CLUB OG』が当てはまる。純粋なヒールとして躍進するのか、ダークヒーローへの道を歩むのだろうか。
矢野通の前に矢野通なし
『CAHOS』が非常に面白い。“混沌”の名前の通り、ヤングライオンを除く全ての個性を持った選手が集っている。
“崇高なる大泥棒”・“敏腕プロデューサー”矢野通選手は極悪ヒールから少しずつスタイルを変化させ、現在のコミカルなキャラクターに到達した。
相手が誰でれ「矢野通コール」が会場全体で巻き起こる。オカダ・カズチカ選手、ケニー・オメガ選手、棚橋弘至選手、内藤哲也選手の4強と試合をしても歓声を盗み取る。コーナーマットも盗み取る。スポンサー企業としてもバッチリ自社のロゴがカメラに映る。“敏腕プロデューサー”はクライアントにも、最高の時間を演出している。
プロレスラーは、それぞれ今の自分が最も輝けるポジションを探し、追求し続ける。だからこそ、歳を重ねる度に魅力が増すのだと思う。
イデオロギー抗争
“黒のカリスマ”が生み出したダークヒーロー(ヒール2.0)と“100年に1人の逸材”が歩んだブーイングを浴びるベビーフェイスは、ある意味で非常に近い場所に位置している。お互いに声援を集め、時にはブーイングを浴びるためだ。
ケニー・オメガ選手が相手では、本来ベビーフェイスである棚橋弘至選手にブーイングが集まる可能性も状況としては考えられる。
だからこそ、棚橋弘至選手は記者会見でこう語ったのだと考察する。
――現在のIWGPヘビー級チャンピオンであるケニー・オメガ選手に対しては、どう思っていますか?
棚橋 おお~…………。どう思ってるか!? もうちょっと(質問内容を)詳しく(聞かせて)。――闘うことになったら?
棚橋 そうですね。まあ、ケニー・オメガ選手もチャンピオンとして、BULLET CLUBではあるけども大人気じゃないですか? (※左右の手を差し出し)そのケニーに対して、棚橋が何で向かって行くか!? “いいモン(いい者=ベビーフェイス)”と“いいモン”でやったら難しいんですよ。じゃあ何で対抗するかって言ったら、「俺はお前のプロレス好きじゃないよ」っていうイデオロギーで、対立構造を作るしかないかなと(思う)。運動能力も凄いし、日本語も上手にしゃべれるし、みんな好きなんだろうけど(苦笑)、俺は彼のプロレスはあまり好きじゃないので。そういうことですかね。 引用元:新日本プロレス公式HP
ブーイングを浴びるベビーフェイスとダークヒーローは似て非なる存在である。ただし、観客が観る目線はもはやベビーフェイス対ヒールとは異なる。
ドラマや大きな因縁がなければ対立構造が生まれないのだ。
オカダ対内藤にはドラマが存在した
2018年のイッテンヨン。メインイベントはオカダ選手対内藤選手だった。この時の対立構造は、絶対無敵のブーイングを浴びるベビーフェイスチャンピオンへ夢を叶えるために挑むダークヒーローだからこそ成立したのだ。2人は新弟子時代に同部屋であり、内藤選手から見たらジェラシーを感じざるを得ない存在だ。
そして、2014年のイッテンヨンでメインイベントから引きずり降ろされた2人が4年の月を経て、その時の再戦をするというドラマまで存在した。
これがブーイング浴びるベビーフェイスと歓声を集めるダークヒーローの集大成だったように思う。
ただし、この構図。このドラマは棚橋選手対ケニー選手には存在しない。
ベストバウト・マシンへの変貌
飯伏幸太選手との復縁。これこそが、ダークヒーローだった“ザ・クリーナー”を更に複雑な場所に連れて行った。
今のケニー・オメガ選手は非常にキャラクターが分かりにくい。ベビーでもヒールでもないのは間違いない。ただし、ブーイングを浴びる機会は極端に少ない。ダークヒーローではあるのだが、少々毛色の異なる選手へと進化を遂げる形となった。
いい意味で捉えると、ベストバウト・マシンは何時でもどこでもキャラクターを変化させることができる、最新型のダークヒーローと言ったところだろうか。
G1クライマックスの柴田勝頼
G1クライマックス28の優勝決定戦。対峙するレスラー双方にセコンドが付くという近年稀に観る景色があった。
棚橋弘至選手は柴田勝頼選手が。飯伏幸太選手にはケニー・オメガ選手がセコンドに付いた。
先程の6つにこの4人を当てはめてみよう。
- 棚橋弘至選手(ブーイングを浴びるベビーフェイス)
- 柴田勝頼選手(純粋なベビーフェイス)
- 飯伏幸太選手(純粋なベビーフェイス)
- ケニー・オメガ選手(ダークヒーロー)
あの瞬間の4人は新日本VSインディーという側面もあったが、ブーイングを浴びるベビーフェイスを純粋なベビーフェイスが応援し、純粋なベビーフェイスをダークヒーローが鼓舞する時間という見方もあったのだ。
その結果、純粋なベビーフェイスはブーイングを浴びるベビーフェイスに敗れた。だが、肩車でその勝利を祝った男こそが純粋なベビーフェイスであったことを忘れてはならない。純粋なベビーフェイスは死んでいない。
新世界の新日本の幕開け
ケニー選手へ「俺はお前のプロレス好きじゃないよ」と、棚橋選手はメッセージを送った。
自身が作ったブーイングを浴びるベビーフェイスと“黒のカリスマ”が作ったダークヒーローの闘いを分かりやすくするために。
G1クライマックス28の優勝が決まった表彰式で“黒のカリスマ”は、棚橋弘至選手を称えた。
今回のG1優勝で棚橋選手は、蝶野正洋選手が持つ優勝記録に2位タイと迫った。
『猪木問答』が起こった2002年2月1日、蝶野正洋選手はアントニオ猪木氏を呼び出し「俺はこのリングでプロレスがやりたいんですよ!」と叫んだ。若手だった棚橋弘至選手は「俺は!新日本のリングで!プロレスを!やります!」と高らかに宣言した。
ブーイングを浴びるベビーフェイスとダークヒーローは常に身近にあったのだ。
2018年現在、価値観の多様化が進み、プロレスの楽しみ方も大きく変化した。
“ベビーフェイスとヒール”という分かりやすい構図ではない世界観のプロレスを、今の僕たちは見ている。
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