内藤哲也を社会人として尊敬できる理由をじっくりと考えてみた
内藤哲也選手を社会人として尊敬できる理由をじっくりと考えてみた。
新日本プロレスの“主役”こと“制御不能のカリスマ”内藤哲也選手。
2015年に『ロス・インゴベルナブレス』へ加入後、2016年には自身を中心とするユニット『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』を結成した。
以降、新日本プロレスマットを席巻し続ける内藤哲也選手の活躍は眼を見張るばかりだ。
2018年後半にはリングを飛び出しYouTube、Twitterで世界のスーパースターであるクリス・ジェリコ選手と動画で舌戦を繰り広げた。
“制御不能なカリスマ”は2018年に自然と新しい一歩、新しい前哨戦を生み出していたのだ。
相対するだけが前哨戦ではない。ファンのハートを盛り上げる手段は一つじゃない、と。
そんな内藤哲也選手について考えつつ、会食に足を運んだ。
そこで、ある企業の社長さんと話す機会がありその帰り道ふと思いついたのが、本記事のテーマである『社会人として内藤哲也選手を尊敬できる理由』だったのだ。
30歳を超えた人間が自分を変えて一歩踏み出す勇気を持ち続けることの難しさ。まずは、この点から語っていきたい。
30を過ぎた大人が大きくキャラを変える
内藤哲也選手が“制御不能”になったのは33歳のことである。
33歳。
一般企業では課長や部長を任される年齢。また、起業するケースも珍しく年頃である。
義務教育から約20年が経ち、社会で生きていくことに慣れた時期。良い意味で「丸くなった、角が取れた」と言われ、悪い意味では「チャレンジ精神が以前ほどなくなってきた」とも考えられる年齢である。
僕は今、34歳だ。20代前半の頃と比較すると、以前ほどのギラギラ感は薄れてきたような気もする。
だが、内藤哲也選手は33歳でメキシコに渡り、『ロス・インゴブレナブレス』に加入し、34歳で『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』を作り上げている。
これは並大抵のことではない。モチベーションを保つだけでも一喜一憂している、僕みたいな人間は彼から学ぶことがあると思った。
一般論だが、多くの社会人は守破離を行なっている。
先輩から基礎を学び、破り、先輩から離れて独り立ちをする。
その過程で身につくのが自信やプライドだ。一方で、この自信はプライドにはデメリットもある。人の意見を素直に聞けなくなることや自分のやり方に固執しようとする傾向が出てくる。
内藤哲也選手は33歳だった。守破離はとっくに終わっている時期だろう。にも関わらず、再度自分の殻を破った。
ただやるのは簡単。ただ、継続することは初動よりも遥かに難しい。並大抵のことではないのだ。
団体批判と成果のバランス
内藤哲也選手は新日本プロレス、新日本プロレスのレスラーに対して、歯に着せぬ物言いを続けている。
新日本プロレスは棚橋弘至の言いなりであると断言した団体批判。プロレス王・鈴木みのる選手を王様と呼び、挑発を繰り返す。そして、今回はタイチ選手にメインイベントを譲ると発言した。
トップを走っていない人間がこんな発言を繰り返していたら。もしも、支持を得ていなかったら。
想像するだけで、冷や汗が流れるようだ。
内藤哲也選手の行動は紙一重のラインで会社にも容認され、ファンからの支持を得ている。
現在、新日本プロレスの興行に足を踏み入れるも『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』のグッズを身につけたファンの姿が目立つ。
これは内藤哲也選手や『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』に所属する4人の確かな功績だろう。
2016年、新日本プロレスのトップレスラーが2人、WWEに移籍した。
中邑真輔選手とAJスタイルズ選手である。
人気レスラーの離脱はチケット、グッズ売上に大きく響くところだが、内藤哲也選手がそこに待ったを掛けた。
リングの上での活躍とグッズ売上の向上。2つの成果は内藤哲也選手が“新日本プロレスの主役は俺だ”と自信を持って公言できるようになったのも、この点が大きいように思う。
プロフェッショナルとして
2018年、内藤哲也選手はNHKの人気ドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演を果たした。
プロレスラーが同番組に出演するのは初の快挙。日頃のテレビでの露出も多い、棚橋弘至選手や真壁刀義選手ではなく新日本プロレスの“制御不能なカリスマ”が掴んだ快挙である。
内藤哲也選手は「プロフェッショナルとは何か?」という質問に対して、「夢を追い続けること」だと語った。
オカダ・カズチカ選手と「夢VS金」という軸で対決し、2014年に敗れているにも関わらず、だ。
夢を叶えるチャンスが目の前に来たとしても、全員が全員掴むことができるとは限らない。
成功もあれば失敗もあるのが人生である。
社会人には夢が必要だ
内藤哲也選手がチャンスを掴む時、常に逆境が存在した。
新日本プロレスという子どもの頃から「夢」見た団体に入門を果たした。
テスト前に膝を手術し、1年以上入門が遅くなった。
真夏の最強戦士決定戦『G1クライマックス』を初制覇。
その前年は膝の手術により約1年間欠場している。
夢の花道である東京ドームのメインイベントに決定。
棚橋弘至選手と中邑真輔選手とのファン投票に敗れ実質のセミに降格。
メキシコ遠征を経て『ロス・インゴブレナブレス・デ・ハポン』を結成。新日本プロレスの主役へと台頭する。
メキシコ遠征直前までは大阪を中心に、各地の会場でブーイングを浴びる。はじめてプロレスが嫌いになるほどに精神的に追い詰められる。
6人目のパレハを招集し、ユニットの5人がベルトを保有するという快挙を成し遂げる。
新弟子時代から強い絆で結ばれている髙橋ヒロム選手が負傷し、長期欠場という現実を突きつけられる。
印象的なエピソードを挙げるだけでもこれだけど挫折と復活を繰り返しているのが内藤哲也選手なのだ。
どこかで心が折れてしまっても誰も彼を攻めることはできない。それほどに追い詰められた時期もあったことだろう。
だが、内藤哲也選手は諦めなかった。「夢」を追いかけ続けた。
諦めなければ必ず叶うわけではないが、強く願う気持ちがあればチャンスは訪れる。
後はその機会を掴めるかどうかである。
夢を追うことは夢を掴むことができる自分になるということを内藤哲也選手は体現している。
「あなたの夢は何ですか?」
夢に大きいも小さいもない。かけがえのない夢を持つことが人として生きる中で大切なのだと僕は内藤哲也選手から学んだのだ。