本当のプロレスファンとは何かについて考えみる

本当のプロレスファンとは何かについて考えみようと思う。

ここ数日、Twitter上で「本当のプロレスファン」というワードが話題に上っていた。

ことの発端については、 あるアカウントが本当のプロレスファンというワードを使用し、そこから多くの方が定義について議論を交わしはじめたことがキッカケだと認識している。

プロレスファンに「本当の」という言葉が付くだけで、何だか不思議な響きになる。

ファンにはアマチュアとプロという定義が存在しない。ファンになった期間の差や投資した額の違いはあれど、どれだけそのコンテンツのことを心から応援しているのかについて図るものさしはおそらくない。

では、「本当のプロレスファン」ひいては本当のファンとは一体何なのだろうか。

新日本プロレスをとことん楽しみ応援するというテーマのもと、「FANではなく、FUN」というワードを使用したNJPW FUNならではの見解を執筆したい。

先に結論から書いておこう。「本当のプロレスファン」がいるとすれば、プロレスを応援している人全てがそこに該当すると僕は考えた。ただ、そこに上下ではなく、左右の違いはあると思っている。

 

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ファンの定義について

まずは「ファン」とはどういった存在なのかについて考えてみたい。

辞書を見るとファンとは、特定の人物や事象に対する支持者や愛好者を指す。熱狂的を意味するファナティック(fanatic)の略語だ。

熱狂的にコンテンツを応援するファンの姿は美しい。プロレス会場は勿論のこと、アーティストのライブに足を運んでいるファンはライブの成功を決める要。最も大切な演出の一つだという見方もある。

コンテンツ提供側が生み出した熱に呼応し、より大きなうねりを作っていく。ファンの存在なしにコンテンツ提供側が成功することはあり得ないと言えるだろう。

 

ファンの区別について

お金をいくら払ったのか?興味関心あるコンテンツに対して大量の知識があるのか?この軸でファンを区別すること自体が僕はナンセンスだと思っている。

個人のお財布の中はライフステージによって大きく変わる。潤沢に予算があればコンテンツに投資できるが、状況が変われば同じようにお金は使えなくなる。

棚橋弘至選手は「プロレスに上下はない。右か左か?」という話を用いていた。

つまり、ファンという存在にも上下はない。敢えて分かるのであれば、好感を持たれるファンか、不快感を持たれるファンか?という違いではないだろうか。

コンテンツを純粋に楽しむ姿勢は対象が何であれ素晴らしい。その人がインフルエンサーとなり、更なるファンも生まれていく可能性もあるだろう。

ただし、周囲に不快感を与えるファンが存在することも事実だ。

例えば、そのコンテンツがプロレスのようにリアルな場で行われる際、観戦マナーが悪い。

周囲の観客に悪態をつく、SNSで暴言を吐くなどである。

どちらもファンであり、本質的には同じ存在なのだが、ここに違いがあると言えるだろう。

この記事の核心に迫る部分でもあるのだが、本当のファン。偽のファン区分け自体が本当は存在していないのである。

プロレス会場の不思議

先日、僕は35歳の誕生日を迎えた。その日パレハと食事をしているときに面白い話題が出たのだ。

元々WWEにハマっていた彼に新日本プロレスを勧めた結果、イッテンヨン『レッスルキングダム』をファミリーで見に行くのは時間の問題だったように思う。

「とても楽しかった!」と笑顔を溢す彼を見ていると、「やっぱり行きたかったなー」と純粋に思うわけだ。

日本酒を数杯飲んだ後、東京ドームで彼が目の当たりにしたのは、右を見れば『ジ・エリート』ファン。左を見れば棚橋弘至ファンだったという話を聞いてある疑問が浮かんだ。

何でプロレスは応援するユニット毎に客席が分かれていないのだろうか?と。

もう一歩迫る

日本プロ野球で言えば読売ジャイアンツVS阪神タイガース。

海外サッカーで言えば、マンチェスター・ユナイテッドVSマンチェスター・シティ。バルセロナVSレアル・マドリード。

因縁のあるユニット同士が試合をするのに、何故か応援するファンはその思想に関係なくごちゃ混ぜの席を購入しているのだ。

ここに僕はプロレスファンの答えがあると思っている。

Like or Love

名作漫画『きまぐれオレンジロード』をご存知だろうか。

同作のラストシーンには象徴的な言葉が存在する。

「Like or Love」

好きなのか?愛しているのか?どちらなのか?という価値観。

Loveまで到達した層の一部が「本当のプロレスファン」という単語で様々な議論を行ったのではないだろうか。

人の偏愛は大きなパワーを生む。それがプラスに作用した時、ファンがファンを呼ぶエコシステムが完成するのだ。

だが、偏った愛は時として人を傷つける方向にも行きがちなのである。

人はそれぞれの人生の主役を生きつつ、他人の人生の脇役でもある。

主義主張が許容の範囲を超えることで軋轢が生じてしまう。

今回の一件も「本当のプロレスファン」という言葉が一人歩きしたが、本来は価値観の違いでしかないのだ。

 

そもそも答えの無い問題

「本当のプロレスファン」

実際にはそんなもの存在していないのかもしれない。

ただ、強いて言うのであれば、2つの可能性があると思う。

まずは、我こそはと名乗る方の場合である。これは「本当のプロレスファン」にあたると思う。周囲が納得するのかは別の話だが。

ただ、僕はこうも思う。周りのファンから「あの人は本当のプロレスファンだよね」と言われる存在。この人物は「本当のプロレスファン」なのかもしれない。

恐らく言われた本人は否定するだろうが。

謙虚にとことんプロレスを楽しむ。機会があれば周囲の人々に魅力を伝える。

ファンがいい方向に盛り上がることで、プロレス会場にもSNSにもいい熱が生まれる。

この熱はもっとまだプロレスに興味がない方にも伝わることで、より大きなプロレス市場が生まれていくのかもしれない。

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