新日本プロレスに女子部門は必要か?
AEWの副社長であり所属選手であるケニー・オメガが東京スポーツのインタビューで、プロレス団体における女子部門の必要性を訴えていた。
正確には、「『CEO×NJPW』(フロリダ州)では、女子の試合を1つ入れたくて新日本に提案した。」とある。
ただし、新日本プロレスはその提案を断ったという。
一つの意見としては全く問題はない。現在、WWEでも明日華選手やカイリ・セイリ選手、紫雷イオ選手など日本人の女性レスラーも大活躍しているためだ。
これからプロレスが益々エンターテインメントとして普及することを考えると、戦略的にはありだとも思う。
ただ、一点気になるというかモヤモヤすることがあったので、筆を取ってみた。
それは、この記事の読者は誰で、何のためにこれを書いたのかということである。
記事中に選手の名前があった。オファーするなら水面下でやってほしい。あれではネタバレだ。
そして、あの記事を読んだ“新日本プロレスファン”は、ケニー・オメガ選手に対して好感を得るだろうか。
色々な意見がある中で、新日本プロレスに女子部門は必要か。
この点について、僕の考えを書き残しておきたい。
結論から言えば、僕は必要ないと思っている。
ただ、どこかの団体をM&Aで買収し、資本を入れ、新日本プロレスの別団体として育むのであればありだとは思う。
新日本プロレスがケニー・オメガの提案を断った理由を考えてみたい。
ストロングスタイルとヤングライオン
まず、新日本プロレスのヤングライオンとはプロレスを目指す者にとってエリート中のエリートである。
SANADA選手やKUSHIDA選手ほどの才能を持ってしていても入門テストには落ちる。むしろ、身長制限などが設けられると、テスト資格すらないこともざらである。非常に険しい崖と谷。
だが、新日本プロレスはそうして団体の歴史を紡いできた。
つまり、こうした下地と歴史と伝統があって、はじめて新日本プロレスだと言えるのである。
女子枠を作るという視点でこの提案を見てみたい。2019年から女子選手用のカリキュラムを設けて、既存のヤングライオンと同じように育成し、海外遠征へと出発させ、同じ興行に出場させるにはどれほどの時間が掛かるのであろうか。
他団体から引き抜くのはマネーゲームとして簡単だ。
だが、それを新日本プロレスだと言えるのであろうか。
ヤングライオンとして、新日本プロレスの獅子の魂を伝授された養殖の獅子。外で爪を磨き続けてきた野生の獅子。
養殖VS野生。この組み合わせが新日本プロレスのリングで繰り広げられる魅力なのだ。
ライオンマークに集った選手、セルリアンブルーのマットに上がることを許された選手ですら出場機会に恵まれないケースもある。
事実、鈴木みのる選手や後藤洋央紀選手、矢野通選手、田口隆祐選手、真壁刀義選手、高橋裕二郎選手ですら2019年のイッテンヨン「レッスルキングダム13」では第0試合。
「NEVER無差別級王座」に輝いたタイチ選手に至っては試合に出ることすら叶わなかった。
仮に女子部門をふやしたとして、1枠を増やすことは、プラスになるのだろうか。
女子プロレスの可能性
ここはきちんと書くが、僕は女子プロレスを軽視しているわけでは決してない。
正直、プロレスひいてはエンタメ、コンテンツにおいて性別は関係ないと思っている。
心を掴むか。掴めないか。大切なのはこの一点に尽きる。
例えば、僕のパレハが熱狂した全日本女子プロレス。その魅力を聞けば「凄い!」と素直に思う。
クラッシュギャルズにおける長与千種選手やライオネス飛鳥さんの歴史を学べば、これは伝説だ!と思う。
また、現在も長与千種選手のマーベラスに移籍を果たした彩羽匠選手の話を聞けば胸がジンとなる。
女子プロレスと男子プロレス。違いはあれど、本質は一つだ。リングの上で何を表現し、何を届けるか。この点において、僕は差別も区別もしない。
僕の所感
内藤哲也選手が新日本プロレスという団体に何度毒を吐いても、暴言を吐いても、オーナーを批判しても支持を得た。
これは前提条件として、内藤哲也選手は幼少期から新日本プロレスの大ファンであり、他団体の試合すらほぼ見ない“専属契約”のプロレスラーだからだ。この“専属契約”という意味は重い。
以前、棚橋弘至選手がDDTのHARASHIMA選手と試合した後、こう発言し大炎上したことがあった。
棚橋「(前略)俺は珍しく怒ってるよ。グラウンドで競おうとか、打撃で競おうとか、技で競おうとか。ナメたらダメでしょ。これは悪い傾向にあるけど、全団体を横一列で見てもらったら困るんだよ!(※机をドンと叩く) ロープへの振りかた、受け身、クラッチの細かいところにいたるまで、違うんだから。(後略)」
出典:新日本プロレス公式サイト
他の団体について、自分の団体と比較して下に見た発言をするのはタブーである。
フリーのレスラーがもう試合に呼ばれない覚悟で、辛辣な意見を発しているのとは訳が違うのだ。
発言するのは当人の自由である。ただし、反感を抱かせないようにオブラートに包む。活字ならではの配慮の難しさを改めて感じた。
スタートアップに行った人
例えば、あなたの同僚がいたとする。その人はこの会社を盛り上げたいんだよ!俺たちの力で上場させようぜ!と、常日頃から社内外にアピールしていたとする。
ある日突然その同僚は退職し、同業他社の新会社を設立した。同僚はその企業の取締役だ。
そこで話を聞いてみると、今あなたがいる会社に対して悪態を吐くような言葉が並んでいる。
あの会社はココロがないとまで言い放っている。にも関わらず、エース候補の社員には敢えて“公の場”でアピール行為をしている。
自分もいつでも前職に戻れるよう調整をしている。
見方を変えれば、こういう状況なのである。
僕は彼のことが好きだった。だからこそ一抹の寂しさを感じていた。
例え、他団体に行ったとしてもAJスタイルズ選手のように「新日本プロレスのドレッシングルームは世界一」と、仮にリップサービスでもいいから言ってくれればそれでよかった。
再び袂を分かった飯伏幸太選手が復帰した時に、日本語でツイートを残すだけでよかった。それだけでよかったのだ。
だからこそ、直近で公開されたインタビューには頭を悩ませた。
メディア戦略は一歩間違えると、多くの信頼を失う結果につながる。何をどこでどう発信するのか。
そして、どこまで話すのか。そのバランスが重要だと感じている。