新日本プロレスを楽しむために「週プロ」の歴史を学ぶ

新日本プロレスを楽しむために「週プロ」の歴史を少しだけ学んでみた。

新日本プロレスをとことん楽しむために誕生し、“パレハ”と談義をしていた時の雰囲気で僕の感想を書くこのブログも公開から半年が過ぎた。

これまで色々なことを書いてきた。展開の予想にはじまり、新日本プロレスのビジネス戦略、試合の感想、はたまた観戦のマナーについて。

「楽しんで読んでます」という声が上がる度に嬉しい気持ちになるのは、人として当然だが、最近はある種の疑問も浮かんでいた。

物事の展開の感想だけを書いているだけでいいのか?と。

そう思ったキッカケは2冊の本にある。

2019年2月20日に「『週プロ』黄金期 熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?」が発売された7日後に「週刊プロレス」2000号が発刊された。

書籍と雑誌、それぞれに目を通して感じたことをまとめておきたい。

『週プロ』黄金期については2代目編集長を務めたターザン山本さんを主軸に当時のエピソードが関係者の口から語られていた。

目を通して見ると、月刊プロレスは週刊プロレスとなり、「活字プロレス」が一世を風靡していたことが分かる。

当時の主役団体は新日本プロレスと全日本プロレス。この2団体を軸にUWFがFMWが台頭していた時期である。

また、SWSについても書籍内では言及されていた。

書籍を読んでいてまず思ったことは、月刊誌のスピードから週刊誌へと移り変わることで、情報発信の粒度を高め、プロレス時代の人気を高めたということ。

一方で、現代ではインターネットの普及により週刊ですらスピードが追い付かなくなったような気がしている。

monthly→weekly→daily→timely。

Webメディアにおいて最も初速がよく記事は「速報」である。

週刊プロレスはターザン山本さんを新編集長に招き、クラスマガジン(特定の読者に向けた雑誌)としての週刊誌ではなく、批評も兼ねた文春のような雑誌を目指したのが、“活字プロレス”時代の週刊プロレスらしい。

インフォメーションを超えた先にあるムーブメントとファン作り。

文章を書いて生きている人間にとっては最も目指したい領域を週刊プロレスは目指したことが分かった。

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インフォメーションの限界

おそらく取材日が同じ。あるいは同時に取材をしているか。

そう、週刊プロレスのインタビューを見ていると既視感があるケースがある。

新日本プロレス公式スマホサイトにおけるインタビューが先に出て、雑誌が後に出る。

両方に目を通してみるとディテールこそ違うものの、構成と内容がとても類似していることがある。

これがインターネットの弊害であり、メディアが抱えている課題なのである。

 

ゴング派

オカダ・カズチカ選手、内藤哲也選手はプロレスファンだった時代ゴング派だったらしい。

週刊プロレスと週刊ゴングの違いは明確な編集方針にある。

週刊プロレスは批評家精神を持って、各記者のフィルターを通した記事を発信する。いい意味プロレスの中にいつつ、外から報じるというスタンス。

週刊ゴングは新日本プロレスや全日本プロレスなどの団体と一緒に、プロレス業界を盛り上げるという方針。記者自身の個性や色を出していくよりも、プロレスラーを媒介として、情報を発信する。

どちらがプロレス団体から愛されるか。どう見ても後者だろう。

ただし、僕はこうも思う。

前者はおそらくプロレスファン以外が読んでも面白いものになっていたのだろうなと。

週刊ゴングはファンが更に知識を深めるために、必要不可欠な雑誌。そして、現在の週刊プロレスは当時のゴングに近いものになっているのかもしれない。

プロレスに存在する3階層

なぜ、プロレスは魅力的なのか。この問いに対して、思案してみると3つの魅力があることに気付いた。

まずは、第1階層の試合。第2階層のストーリーと歴史。最後の第3階層は試合とストーリーを紡いでいるプロレスラーに存在する裏側の生き様である。

会場や動画で試合を見る。プロレスはこれだけでも面白い。当然、技に関しての知識が深まれば深まるほど面白さは増すが、鍛錬を重ねたレスラーがリングの上でぶつかるだけでも楽しむことができる。

表のストーリーと裏のストーリー

ここからがプロレスが独自ジャンルとして、再燃した大きな点だと思う。

まず、リングの上で抗争しているレスラーはなぜ争っているのかという点である。

例えばブシロード体制になった後、絶対王者として君臨していた棚橋弘至選手の目の前に立ったのは次世代のスターであるオカダ・カズチカ 選手だった。

棚橋弘至選手が作り上げていた「IWGPヘビー級ベルト」V11という金字塔。もはや敵なしという状況に待ったをかけたのは若干24歳の若者だった。

ここからオカダ・カズチカ選手と棚橋弘至選手の数年に及ぶ抗争がはじまり、2018年にタッグを組むようになった。

抗争を重ねてきたエースと絶対王者が同じコーナーに立つ。ドリームタッグと呼ばれる所以はここにあるのである。

ちなみにオカダ・カズチカ選手が海外遠征に出る壮行試合の相手を務めたのも棚橋弘至選手。

こうした歴史がある2人だがらこそ、シンプルな合体技やタッチをするだけでも価値が生まれるのである。

ここまでがいわゆる表のストーリーだ。第2階層の時点でも既にワクワクする。

そして、プロレスには更に下の第3階層が存在する。それはリング内外を超えた表面化されない歴史である。

語られているものもあるが、一生語られないものもある。

例えば、内藤哲也選手が髙橋ヒロム選手を個人的にコーチしていた。EVIL選手は田口隆祐選手の手ほどきを受けていた。

オカダ・カズチカ選手は内藤哲也選手と同部屋で一緒にキャッチボールや釣りを楽しんでいた。

この少しだけでている裏側の情報が想像を膨らませる余白になっているのである。

余白は想像力を働かせる。内藤哲也選手の言葉を借りれば「贅沢な時間」ということになる。

さて、週刊プロレスに話を戻そう。僕は活字プロレスについて、2.5階層を突いていたものだと思っている。

インターネットとプロレス

SNSが普及し第3階層が表面化しやすくなってきた。

第3階層が生み出したものは「強い、カッコいい」という憧れではなく、共感性のあるレスラー像であったと僕は思っている。

発信して、共感を得ることができれば根強いファンを獲得できる。失言にさえ気を付けていれば、そもそも試合で興味を引いているだけに離れることはなかなかない。

では、SNSが普及する以前の共感性はどう醸成されていたのだろうか。そう、活字プロレスである。

記者が独自の視点で執筆した署名原稿は、現代よりも情報が不足していた時代にマッチしていた。

常に有識者が試合を論じ、価値を伝えるわけだ。正直、今の時代に読んでも面白いのではないか?と僕は思っている。

書籍の中にもあったが、試合よりも記事の方が面白いという逆転現象まで起こり得るのである。

ただし、ここで問題なるのが「団体側で言いたいことなのか?」という点と「一度神通力を無くすと随筆になる」という点である。

現在、この点を全てカバーしているのが、新日本プロレス公式スマホサイトで公開されているGK金沢さんのコラムだと僕は思っている。

彼の視点と豊富な知識、ブランド力。団体の公式サイトで配信されているという安心感。

その全てが魅力を生み出しているのだ。

批評するという視点は混沌の時代にはマッチするが、コンテンツを純粋に愛し、楽しみたいという時代には相性が悪い。

大多数のユーザーが選手や団体で発信するメッセージのみで満足できる。

だからこそ、週刊プロレスも「毒にも薬にもならない」雑誌へと変化したのだ。

現在、週刊誌としてのプロレス専門誌は「週刊プロレス」しか存在していない。

つまり、競争相手すらいないという状況である。

競争相手がいないのであれば、安定して各プロレス団体と共存していく道を歩むのがベストなのである。

 

これからのプロレスブログ

改めて、僕自身展開だけを追いすぎていないか?ということを考えてみたい。

第1階層に存在する試合の内容を蔑ろにしていないか。ここの面白さをキチンと伝えることはできないのか、と。

ただし、試合について書くのは非常に難しい。理由は簡単で展開は自分の感想を書けばいいのだが、試合については格闘技やプロレスについての理解を深める必要があるためだ。

技の入り方や歴史。格闘技経験のない人間からすればここが非常に難しいのである。

そして、試合のレポート時代は新日本プロレスの公式スマホサイトで内容がなぞられている。また、週刊プロレスの試合レポートも試合の展開が主だ。

ただ、ここから目を背けてはいけないのではないだろうか。

僕自身。これからの記事について考えてみたい。

とは言ってもすぐすぐに変化があるわけではない。少しずつ少しずつ、もっと色々な方が読んで楽しめるコラムを書いていきたい。

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