取材とプロレスの類似性について考えてみた話

先日、“パレハ”と一緒に取材を行った帰り道に改めて気付いたことがあったので書き残しておきたい。

僕の仕事である取材(インタビュー)とプロレスには類似性があり、ある意味同じ文脈で語れるなぁということ。

まぁ、プロレスという言葉は全ての事象に通じるものがあり、人生すらプロレスで語れてしまうので、それはそうだという話でもあるのだが。

ここではきちんと書いたことは無かったと思うが、僕はビジネスからエンタメまで幅広い記事の企画、取材、執筆を担当し、飯を食っている。

一発勝負も多い仕事ではあるが、中には繰り返し、繰り返し取材をするケースもある。

複数回取材を重ねるに連れて、人柄や思想、話しやすい話題の傾向が見えてくる。

インタビューを受ける人は、当然数多くの人にお会いしているので、こちらの顔を覚えるまでにも時間が掛かる。それでも何度も何度もお会いしていれば、「おっ?」という表情を浮かべるものだ。

ゆっくり、ゆっくり信頼関係を築くことで、徐々に心を開いたコメントが出てくるようになる。

読者はインタビュアーの本音やはじめて聞くような言葉を求めている。そのためには、お互いの技(言葉)を受ける確かな信頼が必要なのだ。

日頃、新日本プロレスについての話題を書くNJPWFUNだが、たまにはこういった話題で書いてみるのも面白いだろう。それでは、本題に入る。

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相手を理解するということ

家族であれ、友人であれ本質的に相手を理解するということは不可能だと僕は思っている。

歩みよることや相手を知ろうとすることで、人間関係は円滑になる。

自分のことを一方的に押し付けるのではなく、相手の考え方や行動を受け入れて、自分は何ができるのかを考える。

この関係を徹底的に突き詰め、お互いの立場を明確にしたのが取材の場だと僕は思っている。

極論、読者が欲しい情報であればインタビュイーは何を話しても構わないと僕は思っている。

この空気を上手く作り上げるのがインタビュアーの仕事だ。ただし、そう簡単にできることでもないのである。

お互いに相手の力量が分かっていない。

そのため、取材する側は、相手がどういった話し方をするのか、どんな話題だと話しやすいのかを見つけることから始まる。

ここが初取材の難しいことなのだ。

プロレスもそう。初試合の場合は相手の力量を測ることから始めるケースが多い。

つまりはロックアップだ。所謂手四つ。どう組んでくるのか。次の技に移るときにどんな仕草を入れてくるのか。

相手の実力を見極め、これからの展開を予測していく。

この取っ掛かりが取材にとっても非常に大切なのだ。

ロックアップ

現在の新日本プロレスは、タッグマッチなどでロックアップが行われない試合が非常に増えた。

全くないという訳でもないが、組み合っている時間自体が非常に簡略化されているケースが多い。

これには2つの理由があると想定される。

まずは、相手と繰り返し試合をしているため、ロックアップで実力を測る必要がないということ。

次に新規ファンが多い新日本プロレスにおいて、膠着状態となり派手さや分かりやすさが薄い時間を極力なくすということ。

勿論、タイトルマッチやリーグ戦、トーナメントなどのシングルマッチではロックアップがしっかりと行われている。

これは当日のコンディションをお互いが見極めるために、ロックアップが必須だということを示しているのだろう。

 

相手の土俵、自分の土俵

取材に話しを戻すと、ロックアップとなる前段の会話があることで、この後の展開が見えてくる。

言葉が多い方なのか。少なく淡々と話すタイプなのか。盛り上がると口数が増えるのか。

様々なことを想像しつつ、読者のための情報を引き出していく。

ここで「いい質問」ができれば取材の場は一気に盛り上がる。ただし、「いい質問」とは誰に対しても同じものにはならない。

やはり、それぞれに合わせたいい質問を考え抜かねばならない。

「いい質問」はその場の空気を変える。

棚橋弘至選手のビンタなどはいい例だろう。どう見ても痛そうな一撃は場の空気を一新し、相手選手の感情を引き出す。

ここからビンタの応酬やエルボーであり、逆水平につながっていく。

相手の心に響く一撃が大切なのだ。

僕はまだそのレベルにまで到達していると1ミリも思っていないが、石井智宏選手のようなファイトができれば、最高の取材が生まれると思っている。

相手の心の奥底にある感情を引き出しつつ、まずは相手の土俵に乗る。そして、自分の土俵へと誘うことで、こんな表情を魅せるのか?という新しい発見をファンに伝えていく。

石井智宏選手のブログは非常に面白い。ひょっとすると、試合の強さと発信力は表裏一体なのかもしれない。

 

メディアの意義と意味

2019年2月のNJPWFUNを公開できていなったことを思い出し、直接的には新日本プロレスと関係の話題を書いてみた。

今朝、秋元康さんがAKB48をブレイクさせる前に考えていた思想に触れる機会があった。

家庭からお茶の間がなくなり大衆がいなくなった。そのため、小さなコミュニティでのヒットを狙い、そこからドミノ倒し的にファンを増やす時代になるという話だった。まさにプロレスも近いものがある。

では、ここでメディアはどのような役割が求められていくのだろうか。クリエイターやアーティスト、プロレスラーがそれまでメディアを通じてしか行えなかった情報発信を手軽に行えるようになった。

鈴木みのる選手は写真はInstagram、言葉はTwitterとプラットフォームを分けて発信している。そういった取捨選択も簡単にできるし、必要最低限のことしか発信しないという手もある。

オープンな世の中だからこそ、クローズドにすることで魅力を一定に保つことだってできる。

情報発信について、メディアは第三の選択になってしまったのだろうか。いや、そんなことはないはずである。

先日、本業の方で媒体名以上に僕の名前でお褒めの言葉をいただく機会があった。この仕事を約10年続けてきて初の経験だっただけにとても驚いたし、非常に有り難いと思った。

まだまだ、メディアとして発信することには価値がある。そう、きっと、これからも。

そんなことを考えながら、今日も僕は取材へと向かっている。

最後に。

棚橋弘至選手の試合後インタビューで「疲れてるから!」と切り上げるほどに食らいつくインタビュアーが出る日を僕は心待ちにしている。

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