プロレスにまつわる最高と最強についての話
“実況”というプロレスを通じて自分自身を体現しているフリーアナウンサー清野茂樹さん。
新日本プロレスだけでなく、様々なステージで試合を実況している彼は2010年間4月から「真夜中のハーリーアンドレイス」というプロレストーク番組を展開している。
僕もPodcastで定期的に聞いている番組だ。
そんな「真夜中のハーリーアンドレイス」3月31日配信回で「プロレスは最高か最強か」という話題が巻き起こった。
ちなみに以前に僕が「これは燃えそうだなぁ」と思った記事を書いた方がゲスト。番組内でも度々、そういった話題が挙がっていた。改めて最高と最強というテーマはたしかに面白く感じたため、筆をとってみることにした。
結論から言えば、僕は最強と最高は非常に近い位置にある別の輝きだと僕は思っている。
クローズの世界で言えば、坊屋春道とリンダマン(林田恵)。
テッペンを目指す人々がたどり着く過程で生み出したものが、それぞれの言葉でカテゴライズされる。
それが最高と最強なのではないだろうか。
アントニオ猪木という生き方
そもそも日本とそれ以外の国でプロレスに関するイメージは大きく異なる。
これは日本プロレスから新日本プロレスと全日本プロレスがそれぞれ誕生した瞬間に生まれた副産物だと僕は思っている。
ジャイアント馬場さんが王道の道を選択し、同じことをしていても勝てないと考えたアントニオ猪木さんが「異種格闘技」路線を打ち出したところから生まれたのがプロレスが最強という価値観だ。
モハメド・アリVSアントニオ猪木。
これを現代で考えれば、デオンテイ・ワイルダーVSオカダ・カズチカになる。
いや、現代で置き換えるのは非常に難しい。更に、娯楽が少なかった当時は本当のスーパースターという存在がいた。
輝きが見劣りしているとは思わない。ただ、エンターテイメントの幅が広がり、集から個へ娯楽が細分化された現代において、巨人、大鳳、卵焼きというアイコンは生まれにくいのだ。
また、何故ならば、WBA、WBC、IBF、WBOなどボクシングの世界でも世界チャンピオンが複数存在している。
そもそも最強という定義付け自体も難しい。拮抗した実力を持ったファイターがルールを厳守して戦う場合、その線引きによって結果が変わってしまうケースも往々にあるだろう。
最強は定義付けや一人を選ぶことが非常に難しい。では、最高はどうなのだろうか。
ナンバーワンとオンリーワン
個人的に最高はオンリーワンを指していると思っている。そのため、最高のイメージを持っている選手が複数存在しても問題がない。
そう、「選手一人ひとりが『誰か』にとっての最高」なのだ。
生き方を魅せる。我慢強さ魅せる。勇気を魅せる。
どれも最高という言葉を体現するに値するほどの魅力だ。
チャンピオンはたしかに最強かもしれない。最強という存在を目指す過程の中で、その人は最高の存在になっている。
そんな最高と最高が真剣に向き合い、競い合う様を見るからこそ、観客は熱狂するのでないだろうか。
論争から卒業すべき時
昭和から始まったプロレスにまつわる最高と最強という価値観。
平成の時代に総合格闘技がプロレスに近いブランディングで一世を風靡し、今では全く別のブランドとしてそれぞれの居場所を作った。
では、令和という時代に向けて、僕たちはどんな価値観を持てばいいのだろうか。
僕はプロレスについては、最高と最強という論争から卒業すべきだと思っている。
あの日、中邑真輔選手が「K-1とか、総合とかよく分かんねぇんだけどさぁ。一番すげぇのはプロレスなんだよ!」と言い放った言葉はあまりに深い。
総合格闘技路線の新日本プロレスで新しい象徴として求められた彼は、根っからのプロレスファン。新日本プロレスでプロレスがしたくて、プロレスラーを志した。
中邑真輔選手の自伝を読むと、強くなりたかったという言葉よく分かる。
弱虫で泣き虫だった自分を変えたかった。ただ、強くなりたかった。
弱かった自分を乗り越える強さ。この強さを追い求める過程で彼は最高のプロレスラーになった。
K-1、総合格闘技、プロレス。すべて別なんだ。俺が愛しているプロレスを見てくれ。
そんな想いが込められたメッセージは、今も、これからも人の胸に刻まれる言葉となった。
自分が強くなりたいと目指した道の先に最高がある。
最高となった人々が第三者が定めたルールのもとで最強の称号を手に入れる。
勝負は時の運。最強は一瞬で入れ替わるからこその美しさがある。
最高は結果ではなく、過程の中で誰かの心で生まれる勲章だ。言い換えれば「最高ですか!?」と聞かれて心でから「最高!」と叫ぶことができれば、それは最高なのである。
「プロレス最高に...愛してます!」
あの日、新日本プロレスと全日本プロレスの象徴が重なった瞬間。あの美し過ぎる光景は、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの物語が世代を超えて、再び混じり合った時だったように思う。
最高と最高が並び立つ。最高は何人いてもいいのだから。