海野翔太がイギリスへ!海外遠征へと向かう若獅子への手紙
海野翔太がイギリスへ!海外遠征へと向かう若獅子への手紙を書いてみた。
そう、今回は特に後半から手紙である。であれば、書き出しはこうはじめなければならないだろう。拝啓、海野翔太選手、と。
僕にとって海野翔太選手はとても想い出深いヤングライオンである。
プロレスラーとしてのデビュー戦をリアルタイムで見届けた。ただ、これたげの筈なのにこれまで見てきた多くのレスラーとは異なる感情が胸に浮かんだように思う。
「がんばれ。頑張れ。ガンバレ」常にそう想いながら彼の試合を見てきた。
そんな彼が2度目のヤングライオン杯に臨み優勝を逃した。野毛道場はLA道場の前に敗れた。
平成最後のヤングライオンのエースが選んだのは、国内で強くなることよりも、海外へ挑むことだった。
そもそも棚橋弘至選手が長期の海外遠征を経験していない時点で行く理由が見つからなかったのかもしれない。
ただし、海外遠征とは守破離でいうところの「破」を経験するための時間である。
道場で学んだことを破るための時間。オリジナリティを手に入れるためには大切な時期だとも言える。
棚橋弘至選手は規格外のヤングライオンだったため、それができただけだったのだ。
ではそろそろ本題に入ろう。と、その前に海野翔太選手を見ていて想い出した漫画から触れていきたい。
ガンバるって素敵だね
少し話は逸れるが、僕の大好きな漫画に「ガンバ!Fly high」という作品がある。1994年から2000年まで少年サンデーで連載されていた体操漫画で、原作は金メダリストの森末慎二さんが務めている。
細かいストーリーは海野翔太選手の海外遠征と直接的に関係ないので、端折るが本質の部分で伝えたいことがあるので、ここに書き残しておく。
金メダルを取るためにガンバってきた主人公が本当に夢見たものは「何か一つのことを一生懸命ガンバることーそのものだった。
笑われても嫌われても勇気を持って最初の一歩を踏み出すこと。ここに意味と価値がある。
海野翔太選手は既に一歩を踏み出した男だ。父が尊敬してやまない天龍源一郎さんのように腹一杯になるまで、海外遠征の時間を過ごして欲しい。
レスラーとしての魅力
閑話休題。
ここからはプロレスラー海野翔太選手の魅力に触れていきたい。
僕はヤングライオン海野翔太選手最強の武器は「闘志」だったと思っている。
リング上で魅せるファイティングスピリット。相手に負けたくないという気持ち。この気持ちの表現方法が規格外だった。
「闘志」が表現できていると海野翔太選手を見たファンは皆んな彼を応援してしまう。ヤングライオンが頑張っているから声を出して応援するのではなく、海野翔太選手だから自然と声が出るのである。
そして、この魅力はこれから海外遠征に行った際に起こるノンバーバルコミュニケーションの世界でもきっと強みになる筈だ。
では、海野翔太選手の魅力とはどうやって育まれていったのだろうか。
歴史と変化
名レフリー・レッドシューズ海野さんを父に持つ、海野翔太選手。今では新日本プロレスのメインイベントと言えばレッドシューズ海野さん以外はあり得ないと思うほどの存在感をは発する彼が、前座の試合をレフリングしたことがある。
それもサプライズで、だ。
2017年4月3日。海野翔太選手がプロレスラーとなった日である。この時、自分の試合を捌くのは別の方の筈だった。
だが、レッドシューズ海野レフリーは次男に餞別を与えた。デビュー戦をレッドシューズ海野審判長が担当する。これ以上ないサプライズは一生の宝物だろう。
この時、レッドシューズ海野さんはこう言葉を残している。
「(業界の)先輩としては『まだまだ顔じゃない』よ。父親としては…ちょっと一人にさせて。トイレで泣いてくる」
この日から2年半。色々なことがあった。
ライオンズブレイクで吉田綾斗選手との因縁が生まれ、ライバルとなりタッグチームとなった。
2018年の冬には2人で「ワールドタッグリーグ」へエントリー。白星を飾る以上の経験が彼らを待っていた。
きっとこれから2人はタッグパートナーとして、ライバルとして凌ぎを削っていくのだろう。
その時期には悲しい別れがあっただけに、より一層海野翔太選手と吉田綾斗選手への期待が高まっていた。
ただし、公式での発表はなかったが吉田綾斗選手は新日本プロレスから離れる選択を取る。勿論、彼の選択なので周りがとやかく言う話でない。
その後、海野翔太選手は「ニュージャパンカップ」にエントリーし、棚橋弘至選手と激突。「G1クライマックス29」ではジョン・モクスリー選手のパートナーとして、リーグ制をサポートし続けた。
海野翔太選手は「IWGP USヘビー級」ベルトを大切そうに掲げていた。
LA道場のヤングライオンであるカール・フレドリックス選手に勝つ。泥をすすって強くなる。
彼が無期限の海外遠征から戻ってきた時に狙うベルトは何色なのか。
今から数年後が気になるところである。もしも、海野翔太選手が去ることに寂しさを感じている方はこの曲をきいていただきたい。
最後に。
僕にとって人生で初めて誕生から海外遠征までを見届けたヤングライオン海野翔太選手。
あなたが旅立つことは新日本プロレスを好きな人間として、誇らしく嬉しく思います。
海外遠征に行きたくても行けなかった人たちもいました。ただ、その仲間たちの想いまでを背負う必要は無いのです。
自分のため。自分のために強くなって欲しい。
海野翔太選手が強くなり、魅力できになればなるほど新日本プロレスのチケットが売れるだけでなく、「新日本プロレスワールド」の会員数が増えます。
この流れが生まれるとプロレスがもっと盛り上がることになるのです。
岡田かずちか選手(現オカダ ・カズチカ選手)は海外遠征に旅立つ壮行試合でこう言いました。
「俺が中心になってプロレスを変えます」有言実行。新日本プロレスの大躍進で欠かすことのできないメインイベンターとなりました。
今度はあなたの番です。
過去最長となる海外遠征を経験した髙橋ヒロム選手が最初に向かった国。グレート・オー・カーン選手が生まれた国。柴田勝頼選手や石井智宏選手、鈴木みのる選手が大人気の国。
イギリスを経てメキシコ、アメリカ。色々な国の空気を感じて欲しいと僕は思います。
WWEで活躍しているKUSHIDA選手の言葉を借りるのであれば「プロレスをエンジョイする」に当たるのだろう。
海野翔太選手が“海の向こうに羽ばたく時”がやってきた。
人生初となるファンとしての親目線は、「大きく、帰ってきて欲しい」という気持ちでいっぱいだった。
最後にプロレスラー海野翔太選手が生まれた直後のバックステージコメントを残しておきたい。
TAKA「オイ、小僧! 試合後の一発は効いたよ。それを試合で出せよ」
――先輩として、父親として、コメントをお願いします。
海野レフェリー「先輩としては、まだまだ顔じゃないでしょ。父親としては、ちょっと一人にさせて。トイレで泣いてくるから」海野「ハァハァ……あぁ……もっともっと練習して、もっともっと強くなって、新日本でテッペン獲ります! ありがとうございました!」
――今日、新日本プロレスでデビュー戦のリングに上がって、率直なご感想をお願いします。
海野「素直に嬉しいです」
――試合に関しては、残念な結果になりましたが?
海野「やっぱ、相手がTAKAみちのくさんという、WWEのスーパースターでしたので。カードを見た時に、TAKAさんと知った時に、『勝てるかな?』と不安になってしまった部分もあったんですけど、結局は気持ちですね。TAKAさんだろうと、これから先、どんな先輩と当たるかわかりませんが、自分の気持ちをしっかりぶつけて、誰にも負けない気持ちをしっかり出して、どんな相手だろうと、どんな先輩だろうと、どんなに強かろうと、気持ちだけでは絶対負けないように、どんどんどんどん倒して、テッペンを獲りたいと思います」
――最後に、新日本プロレスでの野望をお聞かせください。
海野「自分は、レスリング経験も、格闘技経験も、今までありませんでした。野球一筋で、ここまで這い上がってきました。よく、『格闘技やレスリングをやってる人が有利だ』とか口にする人いますけど、そんなの関係ないと思います。気持ちだけで、自分はここまで這い上がってきました。だから、これからこの先も気持ちだけは、絶対折れないで、誰にも負けずに、気持ちだけでしっかり勝ち上がろうと思います。そして、最後はベルトを巻いて、新日本を引っ張るような選手になりたいと思います。ありがとうございました!」