新日本プロレスファンが勧めたい「デス・ストランディング」の魅力
「待たせたな」
新日本プロレスファンが勧めたい「デス・ストランディング」の魅力。いよいよこのゲームに触れる時がやってきた。
新日本プロレスが「ワールドタッグリーグ2019」で僕の地元である九州に向かっているタイミングで、少し毛色の違う話を書いてみたいと思った。
バス内での棚橋弘至選手と飯伏幸太選手のやり取りにホッコリした気持ちを踏まえつつ。オカダ・カズチカ選手が僕の尊敬する加藤浩次さんのスッキリに出演すふというサプライズに胸を躍らせつつ、本題に入ろう。
僕が愛するエンターテインメントは何もプロレスだけではない。学生の頃からゲームをプレイすることにも勤しんできた。勿論、漫画やアニメも大好物だ。
取り分けハマったのはビジュアルノベルと呼ばれる(葉っぱや鍵など)のジャンルだが(※年齢がモロバレ)、その他にも世界観に魅了された作品がいくつもある。
中でも今回ピックアップする「デス・ストランディング(DEATH STRANDING)」を生み出したゲームデザイナー・小島秀夫さんの作品にはいくつも感銘を受けてきた。
まずは「ときめきメモリアルドラマシリーズ」だ。スナッチャーでもポリスノーツでもなく申し訳ない!ただ、ここが僕と小島秀夫監督の出会いだった。
高校時代に発売された「ときめきメモリアル ドラマシリーズ」。特に僕が好きなのが1997年7月10日に発売された『Vol.2 彩のラブソング』だ。一本道のルートにも関わらず、選択肢でエンディングテーマのアレンジが変わる演出は斬新すぎた。インターネットもあまり発達していなかった時代だ。もう一回クリアしてみようと思った時に、「あれ!!??曲違う!?」となって興奮したことを今も覚えている。
影響を受けた僕はベースを握り、耳コピでエンディングテーマを弾こうと夢中になっていたものである。
そうなのだ。これから本格的に「デス・ストランディング」について書いていくのだが、小島秀夫監督作品の魅力はゲームから飛び出して、現実世界の行動に影響を与える点にある。
優れたエンターテインメントは、人の行動を変えてしまう。新日本プロレスファンが語る小島秀夫監督作品最新作「デス・ストランディング」について。いよいよスタートだ。
デス・ストランディング
小島秀夫監督の最新作「デス・ストランディング」は2019年11月8日に発売された。発売からあっという間に1ヶ月。
日本のみならず世界中のファンの心に響いたのは一体なんだったのだろうか。僕はシンプルに3つの理由を挙げてみたい。
まずは、メタルギアシリーズの小島秀夫監督が帰ってきたということ。次に国内におけるプロモーションが素晴らしく、またSNSの対応も神だったこと。
最後に。ここがメインだろう。ゲームとして単純に面白かったことだ。
ただし、「デス・ストランディング」について賛否両論があったのも事実だ。
「配達」というあまりに地味なゲーム性。これだけを切り取ると「イマイチ」と捉える方も一定数いると思う。実際にプレイしてみると、フローターやバイク、クルマなど「配達」自体の選択肢がゲーム進行と共に増えていく。その過程が楽しいだけじゃなく、時折り鳴り響くBGMに心が現れる。
個人的には一気にプレイしてもいいのだが、仕事の終わりに一日1時間だけ楽しむ。そんなスタンスでプレイを継続することもオススメしたい。実際、僕もそうやってプレイを進めてきた。
細かいゲームの紹介や魅力は大半のゲームサイトで語られているため、そちらもチェックいただきたい。
それでは、なぜ僕が周りの方に「デス・ストランディング」を勧めたいと思ったか。この点に入っていこう。
人に優しくされた時、自分の小ささを知りました
ゲーム「デス・ストランディング」が生み出したのは人に対して少しだけ優しくなれる世界だったように思う。
「デス・ストランディング」の主人公であるサムに自分がなりきりプレイしているとあることに気付く。
自分がコツコツと運んだ荷物を受け取ってもらった際、ベタ褒めされた自然とテンションが上がる。その感情の揺らぎが現実世界に影響を及ぼしてしまうのである。
シンプルに言えば、配達員の方にとても優しい(それまでと比較して)対応を取るようになる。
雨の中来てくださった場合は素直にそのことにもお礼を伝えるようになるし、単純に大変そうな時はエレベーターなどで助けたりもするようになった。
少しの親切が自然にできるようになる。これってゲームを通じた体験としては極上のものだと言っても過言ではないのではないか。それに気付いて以降、改めて「デス・ストランディング」の素晴らしさに感銘を受けた。
プロレスファンにこそプレイいただきたい
マニアがコンテンツを潰す。にわかファンをいかに取り入れていくか。ここが勝負の分かれ目となってくる。
先日もファンが盗撮した(明らかに撮影許可を取っていないように見える)画像をSNSにアップし、フォロワーを含めてはしゃいでいるのを見るだけで正直違和感があった。これは出待ちしている人たちにも言えることである。
試合中の写真を撮影していいという許可を履き違えてプライベート(撮影&SNSのアップがオッケー出ているなら別)の写真すらも挙げてしまう。悲しいが今のプロレスファンの現状はこれだ。
別にいい子ちゃんぶっているわけではない。単純に僕はそう思っている。
「デス・ストランディング」をプレイしてみよう。相手の気持ちを考えられる人になる。SNSでギャーギャー言わなくても人と人はつながることができることを知ろう。レスラーは超人であるが「人」なのだ。“感情馬鹿野郎”になってしまうのも人の性。その点は一切否定しない。ただし、自分の行動を本人が嬉しく感じるのか?その視点を持つことも持つこととも大切だと僕は思う。
僕が「デス・ストランディング」を勧めたいのはこの理由によるものが大きい。
いいことをしたら届く顔も名前も知らないプレイヤーから受け取る「いいね」。その喜びを体験していただきたい。
小島秀夫監督作品「デス・ストランディング」。令和最強のエンターテインメントだ。
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