“野人”中西学の引退について。僕が一番最初に好きになったプロレスラー
“野人”中西学の引退について。僕が一番最初に好きになったプロレスラーが中西学選手だったことを昨晩思い出した。
キッカケは一つのツイートだった。1999年の「G1クライマックス」の優勝決定戦。中西学選手VS武藤敬司選手の大一番だ。
僕はこの試合を見ている途中で既視感にかられた。「見たことあったかな?」とも思ったが直近で見た記憶は全くなかった。
そうだ。僕はこの試合を見たことがあった。それも21年前に。
夜中になんとなく見た「ワールドプロレスリング」でこの試合を確かに見ていた(ような気がする)。
当時高校生だった僕は時折プロレスを見ていた。TEAM2000が新日本プロレスを席巻し、黒のカリスマが圧倒的な支持立を誇っていた時代。
その対角線にいたのは永田裕志選手や中西学選手だった。
あの頃からプロレスを見続けていればきっともっと面白かったのだろう。ただ、そんな僕が「有田と週刊プロレスと」に出会い、こうして毎日コラムを書いているのだから、人生とは分からないものである。
当時僕が好きだったレスラーは確かに中西学選手だった。
武藤敬司を破った漢
アマチュアレスリングでオリンピック出場。新日本プロレスの歴史でも数少ないオリンピアの1人が中西学選手である。
日本人離れした巨漢。明らかに骨が太いと感じさせるような骨格。そして、筋骨隆々の肉体。
レスラーとしてのステータスをパワーに全振りしたかのようなファイトスタイル。
不器用で無骨。ただ、男として素直に憧れてしまうようなワイルドさが中西学選手にはあった。
武藤敬司選手を破って以降に僕が見た試合は数試合程度。それから21年の月日が流れてから再び見た中西学選手はロングヘア話は丸坊主になっていて、パワーを軸にしたファイトスタイルはそのままだった。
ただし、新日本プロレスの歴史を調べていくとあることが分かった。2011年の6月にアクシデントが起こっていたのだ。僕はこのことを全く知らなかった。
それから奇跡の復活を遂げたものの、それから先がなかったと無念そうに語る中西学選手の言葉はずっと隠し続けてきた本音だったのかもしれない。
現役引退の日、その先まで僕は中西学選手を応援したいと思う。
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