DOUKI、泥水を啜ったシンデレラボーイの涙とタイチ

DOUKI、泥水を啜ったシンデレラボーイの涙は感謝の色をしていた。これは新日本プロレスに颯爽と現れて、ファンの心を掴んだ1人の若者の物語だ。

2019年、令和初となる「ベスト・オブ・スーパージュニア26」にある1人のレスラーが緊急参戦を果たした。

参戦発表後、1人は入国トラブルもう1人は直前の試合で顎を負傷したことが直接的な要因だが、誰かにとってのピンチは誰かにとってのチャンスでもある。

チャンスを掴んだ2人の内、1人は想定内だった。当時“ヤングライオン”の成田蓮選手だ。事前のシリーズから自分を参加させて欲しい旨を発信していたが、ギリギリ滑り込みの繰り上がり当選を果たし、参戦を掴み取った。

もう1人がDOUKI選手。それまで新日本プロレスへの参戦歴はゼロ。初参戦が「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア26」が開幕となった2019年5月13日の宮城サンプラザ大会から。

翌日の初戦でDOUKI選手と成田蓮選手は激突し、DOUKI選手が白星を掴み取った。

オリジナリティ溢れる技の数々、日本の悪を標榜するパフォーマンス力。何よりも裏側にあった物語が胸を打った。

プロレスラーの志した若者は、ミラノ・コレクションA.Tさんからの紹介を受けメキシコへ渡った。そこにいたのはミラノ・コレクションA.tさんの元タッグパートナーであるタイチ選手だった。

週刊プロレスで明らかになったそれぞれの歴史から紐解いてみたと思う。

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人を世話する状況でもなかった

彼も彼でギリギリな状況でのメキシコ遠征だった。

岡田かずちか(オカダ ・カズチカ)選手の新日本プロレスデビューの対戦相手を務めたタイチ選手。

新日本本隊でコツコツ試合をしていたが「これで芽が出なければクビ」と宣言されてメキシコに渡っていた過去があるという。

その逆境がタイチ選手を強くした。CMLL参戦から半年後にメインイベントでマキシモ選手とカベジェラ・コントラ・カベジェラマッチを実現させ、異例のスピード感はメキシコでも一躍注目の的となった。

その裏側でタイチ選手とDOUKI選手は出会った。その時の気持ちはずっとDOUKI選手の胸に残っていたのだ。

 

メキシコの地が1人のレスラーを作った。

その出会いから何年もの間、DOUKI選手はメキシコの地で戦い続けてきた。

新日本プロレスというブランドを持っている訳でもない、何もない若者は色々な地を巡り、屋根の無いところで生き抜いきた。ロード・ウォーアーズも○○○を食べて生きていたなどの逸話があるがDOUKI選手も負けずとも劣らないエピソードを持っているに違いない。

ペラペラのスペイン語。強すぎるほどの度胸は一度失敗したら次はないギリギリの状況で試合を掴み取ってきた彼だけの宝物なのだ。

 

感謝のキモチ

出会いから約10年。タイチ選手からの刺客として「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」にエントリーを果たした。

ただ、思ったような結果を残すことが出来なかった。それでもタイチ選手は温かみのある言葉を残していた。

「コイツで間違いなかった」と。

DOUKI「(※涙を流しながら)俺のスタートは……あの人から始まって……。本気のあの人が見たかったから、先輩を怒らせようと思っていろいろやったけど……これがあの人と俺のいまの差だと思う。俺は誰よりもあの人に認めてもらいたいから……。(『SUPER Jr.』に代打参戦した時)あの人から『コイツで間違いなかった』って言われて……。それからずっとふがいない結果ばっかだったから……でも、ちょっとスッキリした。これからだよ!」

 

スーパージュニア最終戦

2019年5月30日 大阪・大阪市中央体育館・サブアリーナでタイチ選手は、呼ばれてもないのにドカッと解説席に腰をかけた。横にはお馴染みミラノ・コレクションA.Tさんの姿もある。

この2人はプロレスラーDOUKI選手の誕生と成長に深く関係していることは前述した通りだ。

出会いから約10年。DOUKI選手は他のレスラーら見ればシンデレラボーイに見えるような活躍を見せてきた。その裏側に存在した努力は決してサクセスストーリーで括られていいような経験ではない。きっと僕を含め、多くの人が同じ環境で生き抜くことはできなかったと思う。

本当に凄いと素直に思う。ただ、ここからがDOUKI選手の戦いだ。そして、僕はこれからもDOUKI選手を応援するのだろう。

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