なぜ、オカダ ・カズチカはアントニオ猪木の名を叫んだのか

なぜ、オカダ ・カズチカはアントニオ猪木の名を叫んだのか。丸腰になった“レインメーカー”はチャンピオン時とは全く異なる魅力を発するからいい意味でタチが悪い。

「IWGPヘビー級」の絶対王者として君臨すれば向かうところ敵なし。圧倒的な実力で横綱相撲を魅せるその姿はどんな相手でも掌の上に乗せる棚橋弘至選手ですら感服させてしまうほどの領域に迫ってきている。

一方で丸腰の“レインメーカー”はどうだろう。2018年の夏を前に約2年にも迫る勢いだった長期政権にいったんの幕を下ろすとビジュアルから大きく雰囲気を変えてきた。

ガウンではなく、袖を切ったTシャツ姿。髪の毛は赤く染め上げ、手にはバルーンを持っての入場は多くのファンの度肝を抜いてきた。

元々は大先輩であるミラノ・コレクションA.T.さんに苦手な虫を駆使した悪戯をぶちかますほどの悪童。王者ではなく、外道選手のマネージメントから外れたオカダ ・カズチカ選手は、新しい魅力を見せ続けてきた。

イッテンゴで内藤哲也選手に敗れた後もそう。ビジュアルこそ変化はなかったものの、プロレス大賞の表彰式では、異なる団体との交流戦プランもぶち上げた。

そして、オカダ・カズチカ選手は“タイチだけの王道”を全世界に魅せつけた“愛を捨てた聖帝”タイチ選手との激闘を終えた後、今最も気になる存在として“アントニオ猪木”の名前を出した。

なぜ、今では新日本プロレスと距離を置いている創設者の名前を出したのか。その理由を考えてみたい。

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全日本プロレスとの対峙

本題に入る前に、改めてタイチ選手とのスペシャルシングルマッチを振り返りたい。

2020年2月2日のタイチ選手はこれでもかと言うほどに全日本プロレスを発信した。

この時僕は週刊プロレスの記事を思い出していた。

177センチ。大きなレスラーを好む全日本プロレスの中で、決して大柄な背丈ではないタイチ選手は馬場元子さんからの寵愛を受けることなくレスラーとしてのキャリアを過ごした。

また、新日本プロレスでもミラノ・コレクションA.T.さんと結成したユニオーネが終焉に向かったことも逆風だった。

1人ぼっちになったタイチ選手は「これで芽が出なかったら(新日本プロレスでは)終わり」と烙印を押された上でメキシコ遠征へと向い、見事メインイベントでカベジェラ戦を組まれるまでに頭角を現す。内藤哲也選手が「力のある選手」と語るのはメキシコでタイチ選手が歩んできた功績を知っているためだ。

「鈴木軍」加入からプロレスリング・ノアへ。ジュニアからヘビーへ。新日本プロレスで貫く彼だけの王道は、タイチ選手だけが紡ぐことができる重厚なストーリーである。

そんなストーリーを全て受け止めた上で“レインメーカー”を見舞ったのがオカダ ・カズチカ選手である。

丸腰の絶対王者。あの瞬間になぜ、アントニオ猪木さんの名前が浮かんでいたのだろうか。

 

王道とストロングスタイル

ここからは、新日本プロレスとアントニオ猪木さんについて考えてみたい。

1972年1月26日にアントニオ猪木さんが旗揚げした新日本プロレス。ジャイアント馬場さんが率いる全日本プロレスがアメリカの人気レスラーを招聘する中で、新日本プロレスとは王道ではなく、ストロング・スタイルを標榜し、プロレス黄金時代を築き上げだ。

今でも語り継がれる伝説の異種格闘技戦アントニオ猪木さんVSモハメド・アリさんの一戦があったのが1976年。当時のアントニオ猪木さんはほぼオカダ ・カズチカ選手の年齢であのリングに立ったのである。そして、2007年に新日本プロレスの社長職を辞任。

2009年に「CHAOS」を発足した中邑真輔選手がその名を叫んだ。

2020年1月6日には『獣神サンダー・ライガー引退セレモニー』にもビデオで登場した。

新日本プロレスを旗揚げした男と新日本プロレスはだ目に見えない糸で繋がっているのかもしれない。

 

東京ドームを満員にできなかった

よほどのことがない限り、もう新日本プロレスで異種格闘技戦が行われることも、レスラーが格闘技イベントに参戦することもないだろう。

時代は流れ、プロレスと総合格闘技(MMA)は全く別の競技となった。

僕たちは単純に誰が最強かを決めることができないことは知っている。ルールや体重で大きく結果が変わることを理解している。

では、あの頃のストロング・スタイルは現代に置き換えできないのだとすれば、一体どうすれば「東京ドームを超満員にできるのだろうか」。

オカダ ・カズチカ選手の目はここを見ている。2020年に達成するはずが出来なかった夢。

超満員札止めの東京ドーム大会に何が必要なのか。それを必死に考えた結果の一つがアントニオ猪木さんなのかもしれない。

アントニオ猪木さんは2019年2月19日に行われた『ジャイアント馬場没後20年追善興行』に来場し試合前にあいさつをしている。

では、新日本プロレス旗揚げ30周年にアントニオ猪木さんを引っ張り出すのはどうか?オカダ ・カズチカ選手が持ついくつものプランの内の一つをあの瞬間に出したのかもしれない。

東京ドーム満員札止めのために必要なピースとは何か。ここからは少しマーケティングの話に移っていこう。

 

テーマは掘り起こし

新日本プロレスはマディソンスクエアガーデンをフルハウスにしたプロレス団体である。海外と日本を比較するとそもそもの人口が違いすぎるため、今の時代でグローバル展開を狙わないのは、事業としての停滞や衰退を意味してしまう。

ブシロード体制となった新日本プロレスは日本国内のプロレスファン潜在層と顕在層へのリーチを徹底的に行ってきた。

例えば、マッチョでカッコいい男性が好きな女性などが代表格だろう。ファンがファンを呼び、レスラーの人気は急騰した。

一方で、「有田と週刊プロレスと」を通じてプロレス自体に興味を持った層も一定数いる(僕が完全にそれだ)。

あらゆるチャネルから潜在層にリーチすることで、新日本プロレスひいてはプロレス界全体が盛り上がりつつあるのが現状である。

では、オカダ・カズチカ選手とアントニオ猪木さんにはどんな効果があるかと言えば、“休眠顧客”の掘り返しと話題作りになってくる。

昔、新日本プロレスが好きだったファン層を考えてみると、「現地に足を運ぶ」あるいは「テレビを観る世代」だという見方ができないだろうか。

ちなみに、内藤哲也選手は札幌で二冠王のプランをぶち上げた。今回、白のガウンで登場したのはその凱旋の意味があることは明白である。

つまり、こうも考えられるのだ。

 

何が起こる雪の札幌

「何かが起こる雪の札幌」はストーリーがあの場所からはじまることを意味するのではないだろうか。

前述した通り、内藤哲也選手が二冠王のプランを語ったのが2019年。では、2018年はどうか。そうあの日だ。

ケニー・オメガ選手の危機に飯伏幸太選手が現れた。2018年の「THE NEW BEGINNING in SAPPORO ~雪の札幌2連戦~」もこの日を境に大きく時代が動いた。

そうなのだ。オカダ・カズチカ選手は、アントニオ猪木さんを2021年の東京ドームに招集するに違いない。

そして、超満員札止めの東京ドームの景色を全世界に向けて発信し、オカダ・カズチカ黄金時代の幕開けを宣言するのだ。

これがオカダ・カズチカ選手の狙い。丸腰のレインメーカーだからできる何のしがらみにも囚われない、オカダ流ストロング・スタイルなのだ。

と、ここまで妄想を広げてみたがいかがだっただろうか。あの発言にどんな意味があるのか。2020年、オカダ・カズチカ選手から目を離すことができない。

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