鈴木みのるのツイートに目標の置き方を学ぶ
鈴木みのるのツイートに感銘を受けた話を書きたい。2020年3月6日の深夜。新日本プロレスを中心に世界中のリングで活躍している“プロレス王”鈴木みのる選手が印象深いツイートを発信した。
その内容が非常に考え深く筆を立った次第だ。
目標設定の考え方と、自らの力でたどり着く大切さ。一癖も二癖もある「鈴木軍」のメンバーたちを束ねるカリスマ性と全世界のリングから求められる実力を持った鈴木みのる選手の言葉はあまりに深いものだった。
最近少年たちから「オレはプロになる」っていう言葉をよくよく聞く。でも「プロになる」が目標になってないか?その先が険しいんだ。なるだけは山のふもとにいるだけ。先の頂上までが険しい。目指すなら最初から頂上目指せよ少年。山のふもとは金払えば行けるけど頂上は足で登らなきゃ辿り着かない。。 pic.twitter.com/52Eis0nlRM
— 鈴木みのる (@suzuki_D_minoru) 2020年3月5日
少年の夢を叶える力
鈴木みのる選手のいったい何処が凄いのかと、聞かれれば「生き方がカッコいい」になると思っている。
中村あゆみさんの大ファンだった鈴木みのる少年は「俺がプロレスラーになったら入場曲を歌ってもらう」と決めていたそうだ。
そもそもプロレスラーになること自体難しいのに、本当に鈴木みのる選手は凄い、と思うのだがそれで思考が止まってしまってはいけないのだ。
よくよく学生時代を振り返ってみる。
あの頃はあれもしたい、これもしたい。こんな大人になりたい、と思っていた気がする。
叶えたものもあれば叶わなかったものだって。あれもこれもたくさんある。
今の僕の姿を見て、高校生の僕はなんと思うだろうか。
当時とは全く違う方向に進んでは切り返してを繰り返した結果、ゲームの宣伝をしたり、プロレスのブログを書いたりしている僕をどう思うのだろうか。
鈴木みのる選手のメッセージを見てそんなことをぼんやり考えていた。
鈴木みのる選手に物語があるのは学生時代から求め続けてきたものを実現し、大切にしているからだと思う。
強くなる。この一点を磨き続けている鈴木みのる選手だからこそ、常に魅力的に輝いているのだ。
アントニオ猪木とシングルマッチ
最近、「2000年の桜庭和志」という本を読んだ。グレイシー一族との決闘にあったエピソードを重厚な文章で綴っている名著である。
この書籍の主役だった桜庭和志選手と新日本プロレスのリングで最高の試合をしたのが鈴木みのる選手だった。
「それがお前のUWFなのか!?」という刺激的なメッセージからスタートしたあの日の抗争。
パンクラスを旗揚げした男とプライドを通じて日本の総合格闘技界を牽引した男の歴史を紐解いていくとUWFにたどり着く。
鈴木みのる選手は新日本プロレスとUWFの遺伝子を持っている。が、その歴史を改めて見てみるとドラマチックを通り越して激動という言葉がピッタリだ。
鈴木みのる選手が新日本プロレスでデビューしたのが1988年6月。翌3月にはアントニオ猪木さんとシングルマッチを戦い、その勢いのまま新日本プロレスを退団しUWFへ。
さらには1993年にはパンクラスを旗揚げ。
ヤングライオンがデビュー半年でオカダ・カズチカ選手や棚橋弘至選手とシングルマッチが組まれ、その後すぐに移籍。そして、新団体を立ち上げたともなれば、業界でも最重要人物の1人となるに違いない。
鈴木みのる選手はデビュー直後から高い実力と行動力で“鈴木みのる”の価値を高め続けてきた。キャリアが浅いからなんだと言わんばかりに、どんどん発信して発表し続けていく。
そして、欲しいものは欲しいと強く思うことの意味も鈴木みのる選手は語っていた。
だからこそ単なるインタビューの質問に対して「何でお前にそんなことをいわなければならないのか?」と問うのだ。
安くない夢だから他人にペラペラと語るものでもない。僕はそうら受けとっている。
プロレス王という二つ名が似合いすぎる
「プロになる」のが夢では小さいと鈴木みのる選手は言う。プロになるのはゴールではなく、その職業でお金を受け取れるという最初のステップである。
険しい道になる。足場なんてないし、足を引っ張ってくるモノだっている。
それでも鈴木みのる選手は最初から頂上を目指して欲しいとエールを送っている。
目指すなら中途半端なふもとではなく、頂上。テッペンを目指している風景の中で見える景色にも意味がある。
改めてそういった大切なことを気付かせてくれた鈴木みのる選手のツイートだった。
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