新日本プロレス史に残る巌流島の決闘に驚愕
新日本プロレス史に残る巌流島の決闘に驚愕した。
2020年3月9日、「新日本プロレスワールド」で無観客で行われた3試合の配信がスタートした。アントニオ猪木さんとマサ斎藤さん、馳浩さんとタイガー・ジェット・シンさんの巌流島島の決戦。
棚橋弘至選手と村上和成選手のU-30無差別級戦金網デスマッチ。
新日本プロレスの中歴史の中でも特に異色だと言っても過言ではない3試合。これはしっかりと見届けなければならないと思い、本日のテーマに定めた。
無観客試合。いや、プロレスという枠を超えた決闘はどんなものだったのか。これをしっかりた学ばなければならない。
仕事が終わり家に到着。たった今、試合(これは“試合”だったのか...?)を見終わった。いやはや何と形容すればいいものやら。
まず、「新日本プロレスワールド」の再生ボタンを押した瞬間に驚いた動画の時間は1時間40分強。
入場やマイクパフォーマンスなどが無いとすれば、試合のみで約100分ということになる(正確な試合時間は2時間5分14秒。動画内ではカットされているが30分ほどアントニオ猪木さんが宮本武蔵のように心理戦を仕掛けた時間があった)。
近年の新日本プロレスでもオカダ・カズチカ選手がケニー・オメガ選手を相手に60分ドローの長期戦を演じたが、それの約2倍という時間になる。
これだけ長い時間の間、人間は戦い続けることができるのか。
「ルールは己のプライド」というルールのみが一人歩きし、僕も存在は知っていたが、初めて見たアントニオ猪木さんとマサ斎藤さんの巌流島決戦はとんでもない映像だった。
また、約200人がこの一戦を一目見ようと集まった結果、上陸を許されず下関の小高い丘から双眼鏡で見守ることになったという。
リアルとエンターテインメントの垣根を超えた何か。それが巌流島の決戦なのかもしれない。結論に書くが、僕はこの試合を上手く形容できなかった。それはこの一戦がどのジャンルにも当てはめることができないほど、とんでもない何かだったように思うのだ。
一本の映画を見たよう
33年前に行われた無観客のプロレスは現代プロレスとは余りにも違うものだった。
良い、悪い。優れている、劣っている。勝っている。負けている。そういった類の話ではない。
四角いリングは同じでも広がっている景色は全く別物だった。
組み合っての締め技、関節技のみが延々と繰り返される。
アントニオ猪木さんがバックドロップを見舞ったタイミングでもはや日が暮れようとしていた。
飛んだり跳ねたりもない。ロープワークもない。勿論、派手な技もない。
男と男がプライドを懸けて戦い続ける。たったこれだけの展開が延々と続く。
そして、しばらくが経ってからふつふつと何とも言えない感情が溢れ出してきた。
そう、まるで1本の映画を観ているかのように、目が離させなくなってきたのだ。
リングと芝生の上でレスリングを続ける2人。
ヘリコプターが上空を旋回し続ける中、篝火と照明の光だけを頼りに技を極め合う。時々聞こえて来る、息遣いと呻き声だけがこだまする世界はあまりにも異常であまりにも衝撃的な映像だった。
正直に書くと、こういった真剣なシーンでも人はなぜだか笑ってしまうものである。それが巌流島の決闘にはなかった。ただただ、呆然と2人の試合を見つめている。
感情の動きも特になくゆっくりと見守り続けている。ただ、いつもより時間の流れが少しだけ早く感じたことだけは事実だ。
YouTubeと映画
YouTube以降、コンテンツは短縮の一途を辿ってきた。
短い時間で展開は早く。少しでも間を詰めて、スピーディーに見えるよう編集を行う。10年以上前のニコニコ動画はダラダラ長時間楽しめるのがウリだと思っていたが、スマホの普及に伴う一般化が進めば進むほどこの流れは顕著になった。
33年前に行われた巌流島決戦は今のトレンドであるYouTube動画と対局に位置しているように思う。
この戦いには2人にしか理解し得ない「間」が存在していた。
心理戦だけで約30分。YouTube動画なら10本は見れる。それほどまでにじっくり、じっくりとこの試合の意味を紡いでいった結果、令和の時代にも語り継がれる一戦となったのだと思う。
アントニオ猪木のプロレス
一晩明けて続きを書き始める。
改めてあの試合を振り返ってみても意味が分からなかった。決闘に至るまでの流れはナンバーWebなどで記事が出ていたため、そちらをチェックして欲しいのだが、1人の視聴者として見た場合、巌流島の決闘について形容できない自分に気付かされる。
本質的にプロレスとはファンを沸かせることが目的なはず。
「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」の内藤哲也選手がプロフェッショナルの中で「(試合に)勝った、負けた。そんな小さいことでプロレスしてないですよ」と語ったように、目の前の相手に勝つだけがプロレスではない、はずなのだ。
はずなのだが、2人は男のプライドを懸けて戦い続けている。血を流しながら、泡を拭きながらも意地を通し続けている。
この流れは1991年12月18日に行われた、馳浩さん対タイガー・ジェット・シンさんの試合にも続くものがあった。
プロレスというジャンルの範疇を超えた死闘。
アントニオ猪木さんが作り上げた「日本のプロレス」とは何だったのか。
僕はそれを異種格闘技戦という永遠のエンターテインメントだと思っている。これは総合格闘技(MMA)とは全く別のものである。
この試合はプロレスラーとプロレスラーよる決闘だが、異種格闘技戦の香りが漂っているように気がした。スポーツライクではなく、私闘に近い雰囲気。現場に流れる緊張感がここまで伝わってきたのは、2人が何かとんでもないオーラを放っていたからに違いない。
人の心を掴んで離さなかった昭和プロレスの神髄がこの一戦には詰まっている気がした。
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