棚橋弘至VS後藤洋央紀!伝説のベストバウトたる理由

棚橋弘至VS後藤洋央紀!伝説のベストバウトたる理由について書きたい。

「棚橋弘至緊急提言!新日本プロレス夜話〜後世に語り継ぎたい激闘列伝〜」で棚橋弘至選手が語っていた2007年11月11日の「IWGPヘビー級選手権試合」を改めて見てみた。

後藤洋央紀選手は、2006年に海外遠征でメキシコへと向かい、207年に帰国。

髪を伸ばして帰ってきた後藤洋央紀選手は付き人をしていた天山広吉選手へ“牛殺し”を見舞い、その勢いのまま新日本プロレスの象徴へと挑んだ。

一方で、棚橋弘至選手と言えば2006年に「愛してまーす!」を披露。2007年には「必ず!俺たちの世代で!もう一度!プロレスを爆発させます!」と明言が飛び出していた。

かれこれ13年前の名勝負。両国国技館の観衆は6500人と記録されているが、実数はこれよりもかなり少ない人数だったという。

棚橋弘至選手は人数は全然少なくとも満員札止めになった今と変わらないほどの声援の大きさがあった試合だと残した。

何がそんなに熱かったのか。その理由に迫ってみる。

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革命を目指す先輩と歴史を守る後輩

棚橋弘至選手がブーイングを受けまくっている。新日本プロレスに現れた新しい革命家は、チャラチャラとした風貌のチャラ男だった。

甘いマスクとアンコウ型ではなく、バキバキの肉体。そして、髪の毛にはエクステ。

ストリートでは、伊達男でもリングの上で特に新日本プロレスでこの華やかさがまだ受け入れてられていない時代である。

試合開始から半分が過ぎてもり 「後藤コール」が鳴り止まない。

先輩は新日本プロレスの中身を変えずに包紙を変えて、もう一度売り出そうとしていた。

一方で、新日本プロレスとは何か。ストロング・スタイルとは何か。歴史と伝統を守る存在として、ファンの期待を一身に背負う後藤洋央紀選手。

掟破りのドラゴン・スリーパーやラッカブラーダなど今では全く見ることができない技も連発。今とは違う若き荒武者の姿がそこにあった。

 

魂と魂のぶつかり合い

試合中盤を過ぎてはじまったエルボー合戦。棚橋弘至選手を相手に後藤洋央紀選手が一本も引かない。

棚橋弘至選手がジャーマン・スープレックスを見舞えば、後藤洋央紀選手もそのままジャーマン・スープレックスで返す。

ビンタの応酬がスタートすればどちらも引かない。魂と魂のぶつかり合い。

負ける、諦めるという選択肢がない。気持ちが拳に宿り、ナックルパートすら飛び出しはじめた。

後藤洋央紀選手はここで棚橋弘至選手を超えれば、圧倒的な支持を得ることができる。新日本プロレスを一度クビになった男からすれば先代一隅のチャンスだ。

「俺たちの世代でプロレスを爆発させる」そう宣言した棚橋弘至選手が見つけた最初のターゲット。

自分の全てを懸けて未だストロング・スタイルを背負おうとする後輩を打ち砕かねばならない。

新日本プロレスの未来を作るために...。ブーイングを浴びてもお構いなし。み俺はこの試合に勝って、自分たちの世代で熱を作っていくのだ」。そんな気持ちが伝わってくる試合が続いていく。

 

ストロングスタイルの化身の夢

試合終盤、後藤洋央紀選手の昇天が炸裂。エルボーを叩き込まない初期型である。

もう一度、大技を狙う後藤洋央紀選手に対して、小技でリズムを作り直す。

だが、後藤洋央紀選手は譲らない。牛殺し(当時はまだ名称未確定)を炸裂させ、棚橋弘至選手を追い込んでいく。

とにかく首、首、首。

中学生の頃からの夢まであと一歩。今では大一番の時にしか繰り出さない大技・回天まで繰り出した。

ストロング・スタイルとルチャリブレのハイブリッド。魅力あふれる必殺技の数々で棚橋弘至選手を追い込んでいく。

だが、棚橋弘至選手はみちのくドライバーからのハイフライフロー、テキサスクローバーホールドをセットで見舞う。

最後は後藤洋央紀選手のタップアウト負け。

棚橋弘至選手が今の時代を作った。華やかでカッコよくて誰よりも強い。

そんな新しいヒーロー像が誕生した瞬間だったのかもしれない。

やっぱりチャンピオンというのは簡単になれるものじゃないなと思いました。時代は棚橋弘至を選んだという事でしょう。でも、俺の闘いというのはここで終わったわけじゃないから。また1から出直す覚悟ですよ。俺の夢はまだ叶えてないから。(『ここで勝ったという場面が何度もあったと思いますが、それを返された時の心境は?』)まさかというかね。でも、あれがチャンピオンなんでしょう。あの粘りというか。勝ったと思った場面は、何回もありましたけど、そこからの粘り、あれはチャンピオンの強さ。今回負けた事によって、認めざるを得ないですね。ただ、まだ俺の闘いは終わらないから。まだまだ噛み付いていくし。諦めない。俺は絶対に諦めませんから 

この日から13年。後藤洋央紀選手はいまだ「IWGPヘビー級ベルト」に手が届いていない。

だが、諦めなければいつか手が届く日は訪れるはずだ。

棚橋弘至選手が語ったベストバウト。そこから始まったのが、ライバルたちにモテまくる逸材の物語だったのかもしれない。

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