プロレスラーとAmazonのほしい物リストについて
プロレスラーとAmazonのほしい物リストについて書きたい。
数日前から、一部の女子プロレスラーがAmazonのほしい物リストを公開していることについて物議が巻き起こっていた。
それほど切羽詰まった状況なのだろう。無関係の僕がその方の現場も知らずに無責任なことを書くのはいささか気が引けるが自論を書き留めておきたい。
以前、ここでも書いたことがあると思うが、僕はいわゆるIT業界関連のお仕事をしている(今のメインは若干違う)。
そこでは、会社を設立した時や転職した時なぉにAmazonの欲しいものリストを公開する文化がある。※逆に誕生日などはあまりというかほぼ見たことがない
新しい門出を祝う。この文脈のみでAmazonの欲しいものリストは公開されているイメージがあった。
ただ、色々と調べてみるとフォロワーにおねだりするという流れで公開している方も珍しくないことが分かった。
考えてみれば合点がいく。インターネット配信れい明期。永井先生(ジーコ)と呼ばれる伝説の配信者がいた。※今も現役で配信しているらしい
今でいう日本人YouTuberの始祖にあたる。軽快なトークと独特な性格、家族や友人などの人間関係がネット民を中心にムーブメントを作り、彼の配信を見ることが楽しみなファンが大量に生まれた。
その内、貢ぎ物と呼ばれるプレゼントが届くようになった。プレゼント開封の配信も話題となり...。という感じである。
ここからは、インターネットにおけるユーザーとフォロワーの互助関係とどうすればお互いのニーズを満たせることができるのか考えていきたい。
お金を払いたくなる気持ち
YouTuberが台頭する以前、ニコニコ生放送(動画)は配信者に一銭も入らない状況にも関わらず、趣味として多くの生放送(動画)が投稿されていた。
再生数が伸びたらそれは嬉しい。ただ、それ以上にそのネタを肴にリスナーと語り合う贅沢な時間を楽しんでいる空気があった。
フォロワーなんて言葉ではなく、顔も合わせたこともないし、顔も知らない。おそらく、今後も一生会うこともない。
近くて遠い。オンラインだけの友だち。どちらが上も下もない。そんなイメージのゆるいつながりが存在していたように思う。
時々こう思ったことがある。記念配信の時などに何かプレゼントをしてあげたいな、と。
ただ、当時はWebサービスが充実しておらず、個人情報を晒す以外で形に残るものを贈ることができなかった。それが少し歯痒くはあった。
これが10数年前のエピソードである。ニコニコ生放送れい明期。Twitterが日本に登場した頃の話だ。
貢ぎ物ではなく感謝。その気持ちを形にして届けたいという思いがあった。
確かそのことをコメントしたことがある。僕以外のリスナーも同じ気持ちだった。
その配信者はこう言った。「あはは(笑)。気持ちは嬉しいですけど、大丈夫です」と。
対価を受け取らないことが美徳だと言いたいのではない。趣味でお金を稼ぐ時代が到来する前は、この価値観が大多数を占めていたように思うのだ。
助けてくれと言われたくない
ここで話をAmazonの欲しい物リストに戻そう。
正直、情報拡散が容易になった時代だからこそ起こる弊害がそこにあると思った。
情報が届かなければコアなフォロワーだけが知っている楽しみや「助けて!」というメッセージだったはず。ただ、多くの人々に情報が届くようになったことで、賛否両論を生むようになってしまった。
改めて今回の一件に関して僕のスタンスを書くが、やりたければやればいい。否定的な意見など気にしなくていいと思っている。
「乞食だ!」「ファンだってお金がない時に何をたかってるんだ!」。
リストの中にアマギフがあったことを指摘する声もあったが、新日本プロレスの矢野通選手は一番嬉しいプレゼントはQUOカードだと提言している。
心ない声は気にしなくてもいい。送ってくれる人だけがファンなのだ。その他の金を払わない人たちや否定的なメッセージで下を向いてもお腹は膨らまないし、ストレスで辛くなるだけだ。
時代に抗うこと。その対価をリングで払うこと。この2つができるならば、ほしい物を欲しいというは自由なのではないだろうか。
試合がない状況をどう捉えるのか
Amazonの欲しい物リストを公開するだけでは正直、心象がよくない。空気的な意味でこれは分かる。
※YouTuberが広告を貼れるようになったら祝いの声が上がるのに、レスラーがリストを公開したら否定的な声が上がる違和感はこの際、置いておこう。
従来、プロレスラーはそのイメージからファンに歩み寄りすぎない方がいいとされてきた。
だが、そのイメージは刷新されつつある。ストロング・スタイルを作り上げたアントニオ猪木さんやUWFのトップレスラーだった前田日明さんたちが軒並みYouTuberとしての活動をはじめている。
もはや、プロレスラーもプロレスだけをしていればいい時代ではなくなってきているのだ。
今回の一件について冷める人がいるのも分かる。ただ、今の社会情勢をキッカケに何かが急激に変わり出したのは間違いない。
それぞれがストレスを抱えている今だからこそ、誰かを叩いてストレスを解消するのだけはよくないと思う。
人の心を動かす力のあるレスラーは、リングに立っていなくてもできることがあるはずなのだ。
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