KENTAのツイートをキッカケに人生を振り返ってみた

KENTAのツイートをキッカケに人生を振り返ってみた。新日本プロレスで“令和のテロリスト”の異名を持つKENTA選手。

これまでも『CHOAS』の石井智宏選手やYOSHII-HASHI選手、後藤洋央紀選手、『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン』内藤哲也選手らに向けた口撃ならぬ“ツイ撃”が多くの話題を呼んでいましたが、現在はファンに注意喚起を諭す発信が多くなり、この方は本当に色々と素晴らしいなぁと思っていました。

緊急事態中にベビーフェイスもヒールもない。全てはこの問題をみんなで乗り越えた後からはじまる。マイナスからゼロ。そして、プラスへ。

柴田勝頼選手に導かれて登場したあの日からもう少しで1年。KENTA選手は今や新日本プロレスにとって、本当に欠かすことのできないレスラーの一人になったのだなぁとしみじみしておりました。

そんな中、GWに突入した2020年5月2日に投稿したツイートが再び(何度目だ??)僕の心を打ちました。

ことのキッカケはファンのTwitter。自粛中に部屋の片付けをしていたら平成15年に発売されたKETNA選手が表紙の週刊プロレス(週プロ)を発見したとのことです。

取っておけばいいのか。それとも処分すべきか。そんな相談に対して、KENTA選手は「過去に興味はない。捨てろ」とバッサリ。

週刊プロレスの表紙。部数の売れ行きを左右する重要なスペースである。どんなレスラーでも週刊プロレスの表紙を意識しないと言えば嘘になるほど、プライオリティの高いものであることは間違いない。

そんなKENTA選手にとってメモリアルとも言える週間プロレスに対して、「捨てろ」とKENTA選手は言い放った。

その理由は....。

 あの頃のままだったら自分は終わっていた。人は変わることができるのだという何とも深いメッセージが飛び出した。

確かに人は変わることができる。...今日はちょっとだけ僕の昔話にお付き合いください。

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サラリーマン時代にぶつかった壁

僕の人生を振り返ると、上京編や美容師編、駆け出しサラリーマン編などは本当に勝手気ままに過ごしてきたなぁと思います。※この辺りは活字にするのもあれなので割愛。

大きく変わったのは200倍くらいの倍率を勝ち抜いて入社した上場企業に入社してからでしょうか。

友だち付き合いに関してもこの時期に知り合った人が大半です。調子に乗っていた時代を経て、コツコツ真面目に仕事に取り組むことを覚えた時期。

ピノキオの如く伸び切っていた鼻はポッキリと折れ、少しだけ地に足がついた時期だと言えます。

だって、これまである程度できる側だと思っていたのに、その場所では全く通用しなかったんですよ。

本当に全然ダメ。仕事の丁寧さや対応、知識量。全部通用しない。

そもそもの学歴が僕は専門学校卒に対して、MARCH以上しかいない職場です。全く違う世界に放り込まれた(自分で選んだのですが)ような感覚に陥る日だってありました。

これは職場の人にも言ってないですし、世の中的にもはじめて書くのですが、一度だけ自分が不甲斐なさ過ぎてお手洗いで泣いたことがあります。27歳の男が、です。

 

幸せの音が聞こえる道を歩く

今振り返るとあの時、自分が悔しくて仕方がなかった経験が今の僕を作った気がしています。

器用でスマートに“見せる”だけではなく、不器用でもいいから結果を残したい。ふわっとしているよりも実績を残せる人になりたい。

そんな風にマインドセットが変わったのは、自分への怒りがキッカケでした。

あの日、あの瞬間にそんな壁とぶつからなかったら今の僕は絶対にない。KENTA選手のツイートを見てあの日のことを思い出しました。

あれから約10年。その後も決して安定した道のりではなかったですが、今は楽しく生きることができています。

信頼できる仕事仲間もできましたし、大きな仕事に携わることもできました。

自分を変える、環境を変える。逃げることと変わることは絶対に違います。なので、今、何かのストレスを抱えて岐路に立っている人は、自分が幸せになる音が聞こえる道を歩いて欲しいなぁと思います。僕はそうして生きていました。

 

発信すること

家から出ないことが大切なこの状況は、ともすれば自分自身と向き合う時間が増えることにつながります。

僕もそう。明らかにゲームや漫画、小説をプレイしたり読んだりしている時間が増えました。NJPW FUNやnote。情報発信だったり、自分の想いを吐露したり。そろそろ機材を投入してPodcastを始めるかなというところまでは来ています。

NJPW FUNの運営を経て、僕は発信し続けることの大切さを知りました。誰の心にも残らないかもしれない。ただ、誰かの習慣の一部になっているかもしれない。

面白い日もあれば、つまらない日もある。書いている自分でもそんなことは分かっています。それでも、毎日毎日書き続ける。

勝った、負けただけじゃない。その過程にこそ価値があるとは後藤洋央紀選手の言葉ですが、この記事で801本目となった今なら何となく分かるものがあります。

人はそう簡単に大きく変わることはできません。ただ、ちょっとずつ、少しずつ変化していくことが大切なのだと今は思います。

僕は何もなかった34歳からNJPW FUNをはじめて激変とは言えませんが、それまでとの変化はありました。これマジ。

自分と向き合う時間の増えたこの時期に、何かこれまで時間を言い訳にできていかなったことをはじめてみるのはいかがでしょう。

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