内藤哲也と5月27日。感動的なツイートを紹介したい
新日本プロレス「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」内藤哲也選手にとって今日、5月27日はとても重要な日なようで。
そう、今日は特別な日。2つのハジマリの日なのです。
まず、一つ目は内藤哲也が「新日本プロレス」の内藤哲也選手になった日であること。
高校を卒業後、アニマル浜口ジムでしっかりとした実力を付けてから臨んだ入門テスト。
ここに合格するまでに費やした時間は5年です。
2002年には右膝前十字靭帯断裂し、全治9ヶ月の怪我を負ってなお目指し続けた最初の夢が叶ったのが2006年の5月27日でした。
そして、もう一つのハジマリが2015年。
5月23日にメキシコ遠征へと旅立つと、その4日後に“運命”を変える誘いがあります。
「ロス・インゴベルナブレス」の黒いTシャツを手渡された内藤哲也選手は何かを掴むためにユニットへと加入。
結果が出せずに燻っていた時間を取り戻すかよように、傍若無人で自由なファイトに目覚めると、その魅力が爆発しました。
誰よりもヒーローになりたなった男は、ダークヒーローとなったことでプロレス史に名を刻むほどのレスラーへと成長しました。
今日は特別な日だから、少し夢の話をしましょう。
夢を追い求める男
「新日本プロレスに対する思い、新日本プロレスに懸ける情熱は誰にも負けません。内藤哲也よろしくお願いします。ありがとうございました!」
内藤哲也選手が入門テストで発した言葉です。
あれから14年が経っているわけで。僕で換算したら22歳の時。つまり、、、美容師やっていた時代くらいでしょうか。
今では全く違う仕事についているので、正直震えますが...。
僕が内藤哲也選手のことを凄いなーと思うのって、何だかんだ有言実行しているところなんですよね。
簡単な道じゃない。だけど、必ずやり遂げたい。という不器用さみたいなところ。
だってそうじゃないですか。
身体能力や身体のサイズだけで見たら、さらに凄い人が次々と現れるわけですよ。
実際、ヤングライオン時代に同部屋の後輩だったオカダ・カズチカ選手は中学を卒業後メキシコのリングに上がっていたキャリアだけでなく、191センチで高い身体能力までついてくるという化け物です。
飯伏幸太選手にしてもそう。日本人離れというか人間離れした身体能力と閃きは同級生というだけでもゾッとします。
鷹木信悟選手だってそうです。アニマル浜口道場で見つけた最初のライバル(敵)は柔道の経験があり、スパーリングで1勝しかできなかったと本人が語っています。
こうしたライバルたちと並び、今では「IWGPヘビー&インターコンチネンタル」のWチャンピオンになっているのって、やっぱり新日本プロレスに懸ける想いの強さなんだと思います。
中邑真輔選手が「内藤はプロレス以外を知らないからダメ」だと言われれば、欠点を突き詰めて圧倒的な支持を得る存在にまでなりました。
肝心な時にスターダスト・プレスを出すのも、プロレスファンだった内藤少年が見たいと思うからでしょう。
これからも新日本プロレスにこだわり続ける内藤哲也選手に期待したいですね。
ちなみに、内藤哲也選手のアメブロで5月27日についての回想記事が掲載されています。
残り一つもそろそろ上がるタイミングだと思うので、ぜひチェックを。
それでは、最後にこの話題へ。
制御不能前夜
2014年。制御不能前夜とも言える時期に内藤哲也選手は以下のツイートをしていました。ちなみに、ファンとも細かくコミュニケーションを取っていることも分かります。
主役になりたいと言わなくなったことで、主役になれた。ファンに好かれようと思わなくなったことで、誰よりもファンから愛されるレスラーになることができた。
そんな彼の本音がしっかりと詰まった言葉がここに溢れていました。
2006年5月27日にデビューして、今日で丸8年。イイことも悪いことも、嬉しいことも悲しいこともいっぱいあったけど…でもね、やっぱり新日本プロレスが大好きです。新日本プロレスのレスラーでいられることを誇りに思います。皆さん、これからも内藤哲也をよろしくお願いします。
— 内藤哲也 naito tetsuya (@s_d_naito) 2014年5月27日
新日本プロレスが大好き。そんなあなたが皆大好きです。棚橋弘至選手がエイプリルフールにだけ「疲れた」と言えるように、5月27日だけはファンと触れ合ってみてはどうか?そんなことが頭をよぎるってしまうほど重要な日ということですね。
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