スターダム、新日本プロレスの大会中止について僕たちが考えなければならないこと

スターダム、新日本プロレスの大会中止について僕たちが考えなければならないことについて書きたい。

新日本プロレスに続き、女子プロレス団体スターダムも開催直前での大会中止を発表した。

新日本プロレスの宇和島市総合体育館大会では、中止の発表を受けた会場から拍手が飛び出したというハートフルなエピソードが語られていた。

レスラーやスタッフの気持ちを鑑みての拍手。声援が送れない会場で、気持ちを表現するための拍手。

同じエンターテインメントを楽しむ仲間として、非常に美しい光景がそこにあったに違いない。

ただし、僕がその場に居たとしたら、そして今住んでいる場所から遠征したとしたらどうか。

そんな聖人のように振る舞うことができるかと言われれば中々難しいと思う。

先日、スターダムのひめか選手のTwitterでこのような投稿があった。

会場に鳴り響く拍手の中でネガティブなメッセージを耳にしたという。

これは非常に難しい。ひめか選手の言い分は勿論分かる。

一方で、「金を返せ」だけは正直言葉にするしないは別にして頭の中をよぎってしまっても不思議ではないと思う。

 

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今、この状況という難しさ

この問題が難しいと思うのは誹謗中傷ではなく、単なる個人の感想であるという点である。

どうしてもこの大会を見たい。

そんな気持ちでチケットよりも高い、交通費を支払っていた場合。

特に日帰りでスケジュールを組んでいたとすれば、「俺は朝から何をやっていたんだ...」という気持ちになっても不思議じゃない。

猛暑の中、この日を楽しみにしていたからこその落胆。

そんな人たちに「それは違うんじゃね?」と指摘するのも寂しい話なのではないだろうか。

ひめか選手の言い分は十分に分かる。スターダムという団体においてファンのネガティブなメッセージは非常にセンシティブな話題である。

彼女はおそらく誰かの代わりに声を挙げたのだと思う。外から来た自分だから言える言葉がある。彼女のツイートからはそんな気持ちが詰まっていた気がした。

 

観戦する上での心得

改めて、新日本プロレスに続きスターダムが当日ギリギリのタイミングで大会の中止を発表した。

今、この状況で会場で試合を観戦するということは、「中止になる前提」で考えなくてはならないのかもしれない。“これまで”で考えれば、おかしな話だ。

野外でもない会場で朝から移動したにも関わらず、当日ギリギリのタイミングでいきなり中止になる。

うん。そんなバカな話はないだろう。2019年までの世界で考えればまず有り得ないことだ。

突然の中止なんてアーティストのライブ例えると、よほどの体調不良やとんでもないアクシデント以外でステージに立てない以外に考えられない。

ただ、これが僕たちが生きている現実なのだ。

万が一の可能性がある選手をリングに上げるわけにはいかない。お金は大切だけど、お金だけじゃない。

あの日、確実に全員が大会を開催したいと思っていたはずなのだ。決して誰も悪くない。そんな時に我々が取るべき行動は何なのだろうか。

 

人の目につかないところで

スマホが普及する前、SNSが台頭する前。人はどこに感情をぶつけていたのだろうと思う時がある。

友だちや兄弟、親。親しい人々とその日あった事について、語りあう時間がなくなってから僕は何年経ったのだろう。

目の前で嫌なことや悲しいことが起こった時に“心にゆとり”があれば、自分の発言で 相手がどう感じるかをきっと考えられるはず。でも、条件反射的に例え誰かが傷ついたとしても自分が楽になる方法を取ったりしてしまう。

誰かを傷つけないためには、誰かが一瞬でもグッと堪える勇気が必要なのだ。一瞬でいい。その場の発言、その勢いでSNSに投稿するのをやめて、自宅で酒でも飲みながら友だちに愚痴ればいい。

昔はクローズドな場で発せられていた愚痴がオープンな場にシフトした。

昔、インターネットに投稿するということは体育館で大声で言葉を発することと比較にならないほど波及するから発言には気をつけるように教育を受けたが、もうそんな時代でもないのだ。

自分の心を常にSNSて垂れ流す。まるで牧師のいない懺悔かのように、何か許しを請いているような発言だって目にする。

別に止めもしないが、他人が見て気持ちいいものばかりではないだろう。

今回のケースもそう。誰も悪くないし。そういったネガティブなメッセージが出ることもしょうがない。しょうがないのだが、同じく悲しんでいる人たちの耳に入るようにするのは酷だとも思う。

少しの我慢。少しの歩み寄りで関係性は大きく変わる。

今は昭和でも平成でもない令和だ。

既にペンいや、親指は剣よりも強い。銃口を引く指が人差し指から目の前のボタンに変わっただけで、あっけなく誰かを傷つけてしまう。

現実が変わってしまったこの時代だからこそ、人々も変わらなければならない。今回の件を通じて、改めてそんなことを考えさせられた。

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