タイチがヘビー級として過ごした933日

タイチがヘビー級として過ごした933日について書きたい。

2018年3月6日。タイチ選手がジュニアからヘビーに転向を果たしたあの日からこの日が来ることは決まっていたようだった。

「世界一性格の小ズルい男」から「愛を捨てた聖帝」へ。

内藤哲也選手の言葉が呼び水になった訳ではないと本人は否定していたが、結果的に鈴木みのる選手から白星を飾るまでになった。

これは僕の所感(全日本プロレス、CMLL、プロレスリング・ノア時代を知らない。2017年に鈴木軍が新日本プロレスへ帰還した後からチェックしている)だが、タイチ選手が鈴木みのる選手にシングルで勝つとは思いもやらなかった。

特にジュニアヘビー時代はそのニックネームもあり、小物感が凄くさほど強いイメージすら抱いていなかったのだ。

だが、彼が表舞台へと一歩、また一歩と進軍するに連れて支持率はストップ高となっていった。

ヘビー級転向後に魅せた内藤哲也選手、棚橋弘至選手との試合は彼のその後を運命付けるものだったように思う。

改めて“愛を捨てた聖帝”タイチ選手について書いていきたいと思う。

リーグ戦の中の1試合。勝ち点2。「G1クライマックス」というリーグ戦の行方だけにスコープを当てれば、他の試合と同じ価値しかない。

ただ、タイチ選手が鈴木みのる選手に勝つ。それも「NEVER無差別王座」に座っている鈴木みのる選手から直接ピンフォールを奪ったことには大きすぎるほどの何かがあると思うのだ。

 

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オマージュから伝承へ

タイチ選手はオリジナル技ではなく、他人の技を自分流にアレンジしたものを使用する傾向がある。

単純に考えればオリジナリティではなく、オマージュ。パクリ技を使いまくるという意味では 「世界一性格の小ズルい男」というあだ名にもピッタリだった。

ただ、ヘビー級に転向し、本格的に聖帝を名乗りだして以降は(プロレスリング・ノアでお前が拳王なら俺は聖帝だ!と言ったのが“聖帝”の発祥だと言われている)少し違った意味合いを持ち始めたように僕は思う。

タイチ選手の技は歴史をつなぐ。そんな意味を持っているのではないだろうか。

師匠である川田利明さんのストレッチプラム(聖帝十字陵)やステップキック、バックドロップ。今回の試合で鍵を握っていたブラックメフィストも川田利明さんが海外遠征に行っていた時に使っていたリングネームだ。

ミラノ・コレクションA.T.さんが得意としていたトラース・キックを天翔十字鳳。ユニオーネとして共に使用していたユニオーネの竜巻だって、ザック・セイバーJr.選手との“デンジャラス・テッカーズ”で使用している。

そして、アイアンフィンガー・フロム・ヘルをも受け継いだ。

技ではなく心までを受け継いでいるからか。彼を技を見た野上慎平アナウンサーに対して、獣神サンダー・ライガー選手が激昂したことがあった。タイチ選手を見ろ!と。

タイチ選手がこれまで一緒に戦ってきた仲間たちの技を使う意味。その意味を感じ取ったからこそ、あぁいった発言があったのではないだろうか。

僕はプロレスラーではないのでは分からない。分からないがそんな気がしている。

 

新日本プロレスに必要な漢

オリジナリティや唯一無二の個性が求められる世界において、敢えてこれまでのキャリアで影響を受けてきた人々の技を受け継いでいく。後世へとバトンをつなぐかのように。

タイチ選手は無想転生を体得しているかの如く、悲しみを背負う度に強くなってきた。

今だってそうだ。共に戦ってきたディーバのあべみほさんが隣にはいない。世界だってこんなクソッタレな状況だ。それでも聖帝は進軍を続ける。

「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!! 愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!!」

2018年、『G1クライマックス』の選考から漏れた漢は、今や新日本プロレスのヘビー級で欠かすことができないまでに成長したのだ。

 

ヒールに必要なヒューマニズム

我らが“邪道”大仁田厚選手は資金5万円でFMWを立ち上げた時、こう語っていた。

ヒューマニズムの存在しないデスマッチはただの流血ショーだ、と。

大仁田厚のデスマッチにはヒューマニズムがある。だからこそ、人はその生き様に感化され得体もしれない何かに感動する。

エモーショナルなんて言葉が一般的に使われていなかった時代に、“エモいプロレス”をしていたのが大仁田厚選手なのだ。

この前提の上で試合序盤から振り返っていこう。

鈴木みのる選手とタイチ選手の場外戦である。2人の場外戦を見ていて、少し心が昂りはしなかっただろうか。

ちなみに僕の胸は大きく高鳴り、目頭は熱くなった。

そこに2人の歴史とヒューマニズムが見え隠れしたためだ。

メキシコ遠征を経て、小島軍、そして2011年5月3日の鈴木軍結成。

鈴木みのる選手が「世界一性格の悪い男」であれば、自分は「世界一性格の小ズルい男」だと自称した(称された?)。

鈴木みのる選手への憧れがあったに違いない。

そして、ブラックメフィストは完璧に狙っていた。ゴッチ式パイルドライバーからのカウンターで決める、と。

--狙ってましたよね?
タイチ「なにをだ?」
--あの(フィニッシュの)一発を?
タイチ「知らねえよ。狙おうが、狙まままい……狙わないが、くち回んねんだよ。最後に立ってたのは俺だろ。それだけだ。強いから技が決まってるだけだ。それだけだ。なんもねえ。何度でも言うぞ。別に誰がボスだとか、そんなものねえんだよ。今日たまたま2日目の公式戦だよ。俺が立ってる。最後立って、勝ち名乗りを受けた。それだけだ」

出典:新日本プロレス公式

今回の勝利で鈴木みのるを超えたとは一ミリも思っていない。そんなバックステージコメントである。

この日、『IWGPタッグ』と『NEVER無差別級』王座の試合はメインイベントではなかった。セミファイナルですらなかった。

次に二人がシングルで激突する時。この試合順ですら次へのストーリーになる。

『風になれ』と『pageant(野外劇)』が鳴り響いた2020年9月23日。ここからまた新しい同部屋対決が。そして、次の曲がはじまるのです。

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