KENTAが新日本プロレスを選んだ理由とブリーフケース破壊のワケ

KENTAがもう一度輝くために新日本プロレスを選んだ理由がなんとなく分かるような一戦だった。

2020年11月7日に行われた棚橋弘至選手との「IWGP USヘビー級王座挑戦権利証争奪戦」。

初開催となった「ニュージャパンカップUSA」を制したKENTA選手が新日本プロレスのエース棚橋弘至選手を迎え撃つ展開は、一年前とは全く違う光景になった。

WWEから新日本プロレスへと戦場を移したものの、イマイチフィットしきれない感じがあった「G1クライマックス」。

その後のシリーズで徐々にアジャストすると、今では棚橋弘至選手とシングルマッチで真っ向勝負をしても納得の試合内容と結果を残すまでになった。

KENTA選手の言葉を借りれば「輝いている」ということである。

試合を通じて破壊されていくブリーフケース。

新日本プロレスで破壊といえば内藤哲也選手による「IWGPインターコンチネンタルベルト」の破壊事件以降、一種のタブーとされてきたものだ。

なぜ、KENTA選手は権利証の入ったブリーフケースを破壊するような行動に出るのか。まずは、その理由を妄想してみたい。

 

f:id:yukikawano5963:20201108074607p:plain

破壊なくして再生なし

身体の変化は目に見えるようで本人にしか分からない。

KENTA選手は肩を大きく覆っているサポーターがあり、棚橋弘至選手の膝は常に限界と戦っている状況。

トップを走り続けようと思うと“人を超え続けなくてはならない”。

当たり前な話だが、超人なんて種族は地球上には存在しない。

ただ、四角いリングの上には自分のため、ファンのために人を越えようとするのがレスラーという生き方である。

KETNA選手は“一歩踏み出す勇気”を持って海外の団体に挑戦し、彼自身が納得できる結果を残すことができなかった。

そもそもWWEは世界最高のプロレス団体であり、入ろうと思って入れるものではない。そんな場所に入団できただけでも本来はとてつもないことなのだ。

棚橋弘至選手との戦いを通じて壊れていく赤いブリーフケース。本来、権利証の入ったブリーフケースは保持しているレスラーのイメージカラーだったはず。

KENTA選手に全く赤のイメージがないことから、ベルトの色が踏襲されたものだと言っていい。

ブリーフケースはちゃんと俺の色にしろ。KENTA選手は敢えて言葉にしないが、そんなメッセージを新日本プロレスへ発信していたのかもしれない。

 

あの頃の自分より、今の自分

今よりも若く何だかよく分からない自信と勢いがあった頃。そんな20代の自分を懐かしむ時が少なからずある。

プロレスラーという選手生命が長い職業を選んで若いうちから脚光を浴びていれば、今よりもコンディションがよく怪我もないあの頃が眩しく見えることだろう。

KENTA選手はバックステージで10年、15年前に棚橋弘至選手と試合をしていれば...と口にした。

その理由を調べてみると色々出てくる。

KENTA選手のプロレス大賞受賞歴を見てみても何となく伝わるものはあった。

  • 技能賞(2011年)
  • 殊勲賞(2013年)
  • 最優秀タッグチーム賞 (パートナーは丸藤正道選手) (2003年)
  • 年間最高試合賞(10月29日日本武道館、GHCヘビー級選手権試合、丸藤正道選手 vs.KENTA選手)(2006年)

10年、15年前のKENTA選手も輝いている。そして、あの頃の輝かきに追いつき、追い越していると実感できたからこそ、KENTA選手はこんな裏話をバックステージをしたのではないだろうか。

まあ、でも、棚橋、今シリーズやって、今の歳の棚橋と今の歳の俺で、お互いこの歳でやって。もちろん、10年前、15年前、そこでやってたら……っていう人もいるかもしれないけど、でも、やっぱり今の棚橋と今の俺でやれたことに、おもしれえなって思うし。いつだったかな? 昔、俺がWWEっていう団体にいた時、台湾への遠征があって、その時になんかの撮影で棚橋も台湾に来てて、こっちもこっちで中邑真輔、ASUKAがいて、試合が終わって『食事でも行きましょうか』みたいな感じになって。棚橋弘至、中邑真輔、ASUKA、自分で輝いてる人たちを見て、なんかその中に入っていけない自分がいたんだよね、あん時。それが凄い悔しくて、情けなくて。もう一回、このままで終わってたまるかって、ずっと……まああれからじゃないけど、またあれでさらに気持ちを強くしてここまで来て、輝いてるかどうか、それは人が決めることだからわからないけど、少なくとも俺は今やれてることに充実感があるし、リングに上がるのが凄く楽しいし、それでいいんじゃないかなって。今、もう一回、あの会があったとしても、今の俺だったら胸を張って、そこに入って行ける。そういうこと。まあ、結局、今シリーズ通して、俺が何が言いたかったかって言うと、人生最後に笑えばそれでいいじゃんってこと」

出典:新日本プロレス

 

人生最後に笑いたい

中邑真輔選手、ASUKA選手と同じ団体にいたKENTA選手。世界最大の団体WWEに身をおいていても、それと負けないくらいに棚橋弘至選手が輝いていたというカミングアウトは僕の胸を打った。

やはり人間はどこにいるか?ではなく、どう生きるのか?どう自分自身が輝くのか?だ。

KENTA選手は新日本プロレスを新天地に選んだことで新しい輝きを得ることができた。

今の環境で自分の能力が発揮できていない人は新天地を選ぶといい。思い出に気の利いたシナリオは要らない。これから作っていく道にこそ、自分だけの物語があるのだ。

新日本プロレスのエースが輝いて見えた。これがKENTA選手が新日本プロレスを選んだ最大の理由だったのかもしれない。

→【ランキング参加中】人気プロレスブログはここからチェック!【クリックで応援お願いします】

→NJPW FUNのTwitterフォローはこちら