内藤哲也が「二冠」から開放され、大切なものを手に入れた日

内藤哲也が「二冠」から開放され、大切なものを手に入れた日。2021年のイッテンヨン東京ドーム大会は内藤哲也選手にとって大きな意味を持つ日になったと僕は思っている。

2015年に「何かを手に入れるため」メキシコへと渡った内藤哲也選手は“制御不能”という自分の新しい可能性を手に入れて帰国を果たした。

ファンの目を気にする自分を捨てて、自分がやりたいように生きる。

そんな生き様に多くのファンが共感し、彼はいつしか“制御不能なカリスマ”と呼ばれるようになった。

彼はたくさんのものを手に入れた。

「G1クライマックス」制覇。2016年以降、プロレス大賞は3度のMVP。東京ドームのメインイベントも3度経験。

名実ともにプロレス界を代表するレスラーに上り詰めた。

あくまで個人の意見を書いているコラムなので、文句も受け付けないし、気分を害した瞬間に読むのをストップして欲しいのだがと前置きし、本音を書く。

いつからか僕は内藤哲也選手に魅力を感じなくなった。具体的にいつか?と言われるとむずかしいのだが、「プロフェッショナル仕事の流儀」以降がそのタイミングだったように思う。

“制御不能”の皮を被ったスターダスト・ジーニアス。

ベビーでもヒールでもない存在から黒を着たベビーフェイスになった内藤哲也選手に僕はあの頃ほどの魅力を感じなくなってしまっていたのだ。

それが、今日の試合が終わったに後スッと気持ちが切り替わった。

あぁ、この日から僕は内藤哲也選手を応援するのだろうなぁと素直に思ってしまったのだ。

だって、本当の“逆転の内藤哲也”がはじまった音がしたのだから。

 

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今の新日本プロレスを好きになったキッカケ

僕にとって内藤哲也選手は非常に大きな存在だったりする。

2017年に配信された「有田と週刊プロレスと」シーズン1で内藤哲也選手の特集された。

この番組を通じて、昭和・平成のプロレスに興味を持ちはじめていた僕が今の時代のプロレスラーに関心を持って熱心に調べ出したのは、内藤哲也選手がいたからだったりするのだ(有田さんや番組スタッフのお力が大きすぎる)。

色々な逆境を乗り越えて、“制御不能”に辿り着き“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”という仲間たちができた。

プロレスファンからも認められ、ブーイングはなくなり大歓声だけが彼を包むようになった。

そして、「IWGPヘビー」と「IWGP#インターコンチネンタル」の二冠王に輝いた。

彼は全てを手に入れた。

サクセスストーリーは終わり、安定期へ。“制御不能”に暴れまわっていた彼が好きだった僕からすればベビーフェイスになったカリスマに物足りなさを感じるのは、自然だったのかもしれない。

 

 

同級生だからできたこと

蝶野正洋さんが「今っぽくない試合」だと締めくくったこの日のメインイベント。

個人的に試合内容だけで言えば、セミファイナルのオカダ・カズチカ選手VSウィル・オスプレイ選手の方が好みだった。※いわゆるアスリートプロレス。危険技の連発は2017年から2019年までの新日本プロレスを見ているようで何とも言えない気持ちになる。

ただ、プロレスの面白いというかこればっかりはどうしようもないところとして、試合前と試合後が重要だったりすると僕は思っている。

この試合、試合後の内藤哲也選手が美し過ぎた。

かつて前を走っていた他団体の同級生を讃え、2本のベルトを託した。

2020年、大合唱をKENTA選手に止められ、一緒に“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”を立ち上げたEVIL選手には裏切られた。

全国を二冠王として回るはずが、全くできない日々が続いた。

2020年、新日本プロレスで一番逆境にいたのは内藤哲也選手だったのかもしれない。

試合が終わった今だから思うことがある。

そんな彼がどうしてもやりたかったのが、東京ドームという晴れ舞台で2連戦して2連勝すること。

自分の力で今の状況でも出来る限りお客様を呼ぶことだったのかと思うと、胸が締め付けられるようだ。

「何で飯伏幸太選手??」とあの時はメチャクチャ思った。

「権利証の意味ないじゃん」と彼の発案を否定する考えばかりが頭を占めていた。

違ったのだ。

「二冠王」としてリスクを取ってでも、矢面に立つこと。そして、2020年の二冠王争いで唯一勝っていない飯伏幸太選手を倒すことで、本当の意味で「二冠」を終わらせようとしていたのだと、今ならば分かる(僕の想像だが)。

自身がブチ上げた「二冠王」というブランドは正直、思った方向にいかなかった。

両手でベルトを持てない(マイクを持つシーンなど)時はどうしても片っ方が犠牲にになる。

どちらの価値が高いのか低いのかも分からない。2本が必要なのかも分からない。

内藤哲也選手は二冠戦について「別々に防衛したい」と名言していたが話が通ることはなかった。

違うと分かっていても方向転換ができない。

イッテンヨンで「IWGPインターコンチネンタル」、イッテンゴで「IWGPヘビー」の防衛戦でも本当はよかったはずだし、そちらの場合は結果を問わずメインイベントに2度登場することができた。

ただ、そういった話は通らず新日本プロレスは二冠戦を彼に求め続けた。

社会でもあるだろう。お前が言い出しっぺなんだからやり続けろ、と言われることが。そして、自分にとってどれだけ苦痛なことか。誰にも言えずに一人で苦しんだり、葛藤したり。

内藤哲也選手にとって「二冠」とは何だったのか。いつかそんなインタビューが掲載される日もあるだろう。

彼のことなので「忘れましたけど」と煙に巻くだろうが...。

この日、2019年から内藤哲也選手を縛っていた「二冠王」という鎖がようやく解けた。

内藤哲也選手は分かっていたはずだ。飯伏幸太選手の言うことであれば、新日本プロレスは叶えるはず。「二冠王」の物語は飯伏幸太選手で終わる、と。

だから、自らの手で2本のベルトを託したのだろう。「この2本もお前が解放してくれ」という願いを込めて。

 

逆転の内藤哲也、ベルトを超えた存在に戻る日

順風満帆に見えて、大切な時に何かが起こって手のひらの上からこぼれ落ちてしまう。

内藤哲也選手にとって目に見える栄光は雪のように儚く、すぐに溶けてしまって大切に掴むことができない。

ベルトの防衛回数を見ても分かるように、内藤哲也選手はあまり長期政権を築いたことがないのである。

内藤哲也選手は以前、“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”での5大ドームツアーを話したことがあったが、それも今は現実的に厳しいものになってしまった。

自分の計画やアイデアが白紙になる中で、彼は今どんな夢を持っているのだろうか。

内藤「(フラフラとした足取りで現れ、イスを蹴飛ばし、立ったまま)今回の俺の選択、2日連続での防衛戦にチャレンジし、その初日で敗れてしまったわけだけど、後悔はないから。そりゃ2日連続でこの東京ドームのメインイベントに立ちたかったよ。立って、2日間とも花道を反対方向に歩きたかったよ。でも、後悔はないから。お互い今日勝っても、明日ジェイ・ホワイト戦が控えている状況。そんな中、今日、100%俺のほうだけを見てくれた飯伏幸太に俺は感謝してますよ。
  
それにしても、うまくいかないな。本当うまくいかないプロレスラー人生だよ。でもさ、こんなのも俺らしいかな? 俺らしいでしょ。俺らしいプロレスラー人生だよ。(机をバンバン叩いて)さあ、(もう一度机をバンバン叩いて)さあ、明日からいったいどこに向かおうかな? 何を目指そうかな? ちょっと今、わかんないけどさ。
  
でも、でも、はっきり言えることが一つだけあるよ。それは……俺はまたこの東京ドームのメインイベントに帰ってくるから。この東京ドームのメインイベントに、また必ず帰ってくるから。その時をトランキーロ、焦らずに、お待ちください。アディオス!」

出典:新日本プロレス

最近、内藤哲也選手は「トランキーロ」という言葉ですらあまり使わなくなっていた気がする。要所要所では使うのだが「こういうときこそ、あの言葉ですよ」のように前置きしてから使うケースが明らかに増えていた。

ただ、この日は素直に焦らずに待っていて欲しいとメッセージを送った。

※なんと晴れやかな顔なのだろうか。

内藤哲也選手にとっての「二冠」という物語が終わり、次に目指す場所はどこなのか。

価値が爆発的に高まっているNEVER無差別6人タッグでもいいし、IWGPタッグでもいい。何だったら体重を落として高橋ヒロム選手との師弟タッグでジュニアのタッグベルトに向かうのだっていい。

ひょっとしたら敢えてオカダ・カズチカ選手が提唱したKOWPを取りに行っても面白い。

内藤哲也選手は自由だ。2021年、“制御不能”に戻った内藤哲也選手が新日本プロレスを盛り上げる、そして東京ドームのメインイベントに返ってくる日を心から待っている。

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