辻陽太の「別れの曲」、そして内藤哲也とタイチ
辻陽太と「別れの曲」、そして内藤哲也について書いていきます。
本当であれば、こちらが先に公開される予定だったのですが“俺たち”の高橋裕二郎選手に大きな動きがあったのでしょうがないですね。
さて、辻陽太選手がヤングライオンを卒業しました。
当日の夜にはショパンの「別れの曲」を披露。
あのショパンが「これ以上美しい旋律を作ったことはない」と語ったほどの名曲に多くのファンが心を打たれていました。
かくいう僕もやられましたよ。やっぱり音楽っていいなと率直に思いました。
「別れの曲」
辻陽太選手と僕たちは一度別れます。
毎日、毎週のように見ていた新日本プロレスから彼が姿を消すのです。数日経って考えるとやっぱり寂しい。
寺門ジモンさんに似てるところから注目が集まり、髪と髭が伸びるとその佇まいと雰囲気に「子供3人くらいいるだろう」と言われていました。
リングまでダッシュが定番のヤングライオンに対して、彼はのっしのっしと歩いて向かいます。
思えばずっと枠からはみ出たかったのかもしれませんね。
#ありがとう#njpw pic.twitter.com/sZ0HJJ3x3j
— 辻陽太 (@tsuji_njpw) 2021年8月1日
内藤哲也の本質
「内藤さんはやっぱり面倒見がよくて優しいな」
内藤哲也選手にはこんな逸話があります。
新弟子時代の高橋ヒロム選手(当時、髙橋広夢)が練習に全くついていけない中「俺でよければプロレス教えようか?」と声を掛けました。
そこからはじまった師弟関係が現在の“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”にも続いている。
今回の試合もオカダ・カズチカ選手が実力の差、格の差を見せつける試合運びを見せたことに対して、ある程度歩み寄ったプロレスをしていました。
辻陽太選手のパワフルさをお客様に刻み込むかのように。数年経っても彼の頑張りが記憶に残るように。
ただ、デスティーノを餞別として使ったり、帽子を渡したりなどラインは超えませんでしたね。
またぐな。またぐな、またぐな。そう言わんばかりに確かな線はありました。
それでもちゃんと正装(白のタキシード)で登場するあたりはやっぱり内藤哲也選手でしたね。
内藤「辻の気迫は凄かったね。辻のエルボーで記憶がちょっと飛びかけたかな? それぐらい強烈なエルボーだったよ。辻がどっかのインタビューで、内藤に負けるなら“デスティーノ”で負けたいって言ってたの、オレは知ってるよ。でもさ、オレにとって“デスティーノ”っていうのは特別な技なんだよ。オレの運命を変えてくれた技だから。残念ながら簡単には出せないかな。まあいつか、デスティーノに出すのに相応しい相手となることを願ってるよ。だって彼はこれから海外遠征にでるんでしょ? まあこの先、彼が海外で何をして、そしてどういう姿で帰ってくるのか、もうオレの知ったこっちゃないけどさ。
なあ、辻。オレから一言あるとすれば“Hasta luego!”また会おうぜ! カブロン!」
策士・タイチ
上村優也選手と辻陽太選手は金の卵です。
壮行試合が組まれたのはマスター・ワト選手(川人拓来)以来。
それ加えて今回は先輩とのシングルマッチを行い、壮行試合の最後はオカダ・カズチカ選手と内藤哲也選手が締めるまでに至りました。これは功績でしょう。
3年4ヶ月間、鍛錬を積んだ2人はヤングライオンを超えた実力と発信力を備えています。
そんな彼らが黒パンツを卒業するタイミングで“聖帝”も動きました。スッと。カメラにも抜かれないレベルで。
メインイベントの「NEVER無差別6人タッグ」が終わると辻陽太選手に握手を求めたんですよ。
いやはやこれは驚きました。
2021年6月15日に開催された「映画『ゴジラvsコング』PresentsKIZUNA ROAD 2021」後楽園ホール大会でタイチ選手は辻陽太選手とシングルマッチを戦っていました。
タイチ「シュウ(北斗の拳のキャラクター名)よ、シュウかおまえは……。シュウ気取りやがって。シュウはよ、聖帝の前に倒れるだけだよ。オレの聖帝十字陵の前に聖碑を運んで、頂上でオレに殺されるだけなんだ。自らシュウ道を選んだんだよアイツは。だから最後、アイツの光を奪ってやった。何シュウ気取ってんだ。いいじゃないか、いいんじゃないの? その辺の連中より、アイツの方が。いいぶつかり稽古だったよ。アイツいい腹もしてるしな。将来有望な関取になるじゃね。まだアイツは序二段だけどな。まあ横綱のオレでも序二段に投げられることあんだよ。まあ、だから素質持ってことだよ。アイツいい関取になるじゃないの。応援してるよ。いい腹してるから。まあ、いい運動になった。
「点」と「点」を線に
今振り返るといいぶつかり稽古だったと彼を褒め称えていました。
将来有望な関取を今からスカウトに動いたのか。それともメキシコに憧れる若者への餞別だったのか。
真意は不明だが、一つだけ確かなことがあるとすればこの握手で一つの「点」が生まれたことだ。
内藤哲也選手は敢えて帽子を渡したりなど“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”加入への分かりやすい振りをしなかった(小松洋平選手へ帽子を渡した実績あり。その後、ボコボコにして撤回したが...)。
タイチ選手は別れの握手を交わした。この意味が分かるのは数年後です。
やっぱり寂しいっすね。
棚橋弘至選手を超えるために隣を選ぶのか。それとも超えるために別の居場所を求めるのか。
「棚橋、海外遠征帰りのレスラーに狙われがち」って言葉があるくらいなので(直近でもジェイ・ホワイト選手、グレート-O-カーン選手ら)、辻陽太選手がでっかくなって帰ってきたら棚橋弘至選手との関係性も楽しみです。
やっぱり寂しいっすね。書いてて改めて思いました。
焦らないで、楽しんで
最後に“ヤングライオン”辻陽太選手について書いていきましょうか。
うん。「本当に早くヤングライオンを卒業したかったんだろうなぁ」と思います。
前述したようにリングへはダッシュしない。途中からはルチャの技を試合中に組み込むなど、ヤングライオンとしては「技」に走った印象があります。
上村優也選手が柴田勝頼選手や金丸義信選手、石森太二選手らから高く評価されたのは、ヤングライオンらしいフレッシュさがあったと思っています。
絵に描いたようなヤングライオン。ストロングスタイルを学ぶ若者。強さに憧れる若獅子。
負けん気の強さを含めてヤングライオンがよく似合うのが上村優也選手だったのだと思います。
一方で辻陽太選手は途中から“進みが遅い船”に苛立ちすら感じていたのではないでしょうか。
社会状況は最悪。後続は出てこない。
自分の実力以外のところで上手くキャリアが形成できない。そこにとてつもないストレスを感じているような。そんな感じがしました。
ただ、それについて先輩たちも強くは言えないんです。だって「本当ならとっくに海外行ってるはず」ですから。
メキシコの自由な風に憧れたのもそうした影響があったのかもしれませんね。
辻陽太選手は恐らく相当真面目なタイプです。彼が大きく羽ばたくためにはメキシコの自由な雰囲気があっているのは間違いないです。
色んな困難があると思いますが「焦らずに」楽しんで欲しいですね。
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