柴田勝頼と成田蓮のプロレスを泣きながら見た

プロレスとは泣きながら見るものだ。

いつからかそんな気持ちを忘れて、ふふーんと見ている自分がいた。

そんな僕に対して、柴田勝頼選手は「バカやろーー!!!と一喝し、俺たちは本気だ!お前も本気でプロレスを見ろ!と言われている気分になった。

柴田勝頼選手の復帰戦を見た。泣いた。元気が出た。

2022年1月4日に新日本プロレスが開催した「WRESTLE KINGDOM 16 in 東京ドーム」で“ザ・レスラー”柴田勝頼選手が試合復帰を果たした。

約5年ぶりの復帰戦。その対角線に立ったのは“愛弟子”である成田蓮選手だった。

試合を通じて、肉体を通して、心で会話をしている。いや、言葉ではなく言葉にできないような気持ちをぶつけ合っている時間だったように思う。

成田蓮選手が直訴したのか。それとも柴田勝頼選手が指名したのか。その真実は本人たちにしか分からない。

ただ、一生に一度しかないこの日の復帰戦で柴田勝頼選手の対角線に立ったのが成田蓮選手でよかったと心から思う。

 

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新日本プロレスらしい試合

旗揚げから50周年も経てば、当時は違って当たり前だ。

ただ、変わらないと感じさせる変化を続けながら、新日本プロレスは歩みを続けてきた。

そんな中で、一番“あの頃の味を現代的にアレンジしたもの”を見せたのが柴田勝頼選手の復帰戦だったように思う。

スピーディーなグラウンド展開から、コーナー付近での駆け引き。レフリーが見ていないところでダーティーな小技も見せた。

最後はとにかく痛みを試合でしか与えることができない痛みを成田蓮選手、ファンにぶつけた。

自分のこれまでの辛さを蹴りに変えて、何度も何度も弟子の胸を蹴る。

そして、弟子は本気で受け続ける。

「強くなりたい」

この想いがヤングライオン成田蓮を動かした。そして、最大の恩人の最高の晴れ舞台でとことんやり合えるまでに成長した。

ビジュアルが似ているとかそんな小さいことはどーでもいい。

憧れの人に自然に似た経験はあなたにも必ずあるはずだ。

憧れの恩人に恥じない試合、想像を超える試合がしたい。

鼻血を出しながら食い下がる姿はあの日負けたヤングライオンではなく、プロレスラー成田蓮だった。

柴田「無事、復帰を致しました。ちょっと会社との約束とは違うことを、はみ出したことをしてしまったんで、これはちゃんと自分のペナルティでも何でもしっかり受け止めたいと思います。今日、ここに一つリングに上がるチャンス、どうしても作ってこじ開けたかったんで、キャッチレスリングルールというものを作ったんですけど、結局はやらず。今、今の新日本にどういう戦いが必要なのかなって、自分なりに4年、5年近くずっと海の向こうからLAから見て、日本に帰ってきて会場の空気とか感じて、エキシビションをやって、ザックと。このワンチャン作って、どうにか自分がリングに上がれる状況を作れればなと思って、虎視眈々と4年ぐらい自分の体と相談しながら伺ってました。逆に聞きたいんですけど、今日の試合はどう写ったんですか? プロレスですか? 何ですか?」
──素晴らしい戦いでした。1ミリの隙きもない、これでもかと見せつける柴田さんの思いが伝わってきました。
柴田「ありがとうございます。これを復活と言わずして何と言うのか、オレはずっと気になっていました。ここに来る間も、みんなどう思って見て、どう思ってあの試合を受け止めたのか? 実際自分では見てないんでどういう試合だったか分かんないけど、一番大事ななんか魂っていうか、そういうものをぶつけられた、ぶつけ合えたっていうのがあの試合かなと自分は思っています。成田には申し訳なかったというか、いい経験になったんじゃないですか? 『こんなことがあるんだ、ああルール変えちゃうんだ、この人』って。まあオレ、今後どうなるか分かんないすけど、本当に分かんないんですよ、今後。自分の今後っていうのは分かんないですね。ただ一つ言えるのはオレの試合はプロレスだった。柴田はプロレスが出来る。これは世界でも見ている人がちゃんと認識出来たんじゃないかなと思います。日本で出来ないんだったら、オレの残り少ない時間だから、そこはレスラー生命使って今年は試合したいなって思っています。

出典:新日本プロレス

“ペナルティキック”で試合を決めた柴田勝頼選手はどんなペナルティでも受けると言ったが、新日本プロレスの大張髙己社長は以下のようにコメントを残している。

死ぬためではなく、生きるためにリングへ上がっている。

実際、ここでプロレスルールを解禁できなければ、一生キャッチレスリングルールでの試合になったと思う。

柴田勝頼選手はプロレスがしたかった。その夢を叶えたのだ。

 

成田蓮、漢になった

「強くなりたいんです!」

あの日、成田蓮選手は柴田勝頼選手の前に膝を付き、直訴した。

あれから2年が経ち、成田蓮選手は本当に強くなった。だが、まだ足りない。新日本プロレスのトップを獲るためにはまだ足りないモノがある。

“心体技”。

柴田勝頼選手にとってこの理念が「守破離」を指すのであれば、心の最後のレッスンとして成田蓮選手を指名したのかもしれない。

では、この日の成田蓮選手はどうだったのか。

柴田勝頼選手に教わった蹴りを東京ドームで披露する。

いや、そんな技術ではなく、心で柴田勝頼イズムを体現していた。

やられたらやり返す。気持ちで絶対に負けない。

休まない。いや、休めない。

人生を懸けてリングへ上がり、自分へ痛みで何かを伝える師匠。

そんな尊敬すべき人を世界中の注目が集まる中で、ぶちのめす。漢の根性をリングで爆発させる。

これが柴田勝頼選手に教わったプロレスなのだ。

試合後、柴田勝頼選手の口から復帰戦の相手に成田蓮選手を指名したことが明かされた。

──対戦相手が成田選手でした。どういう経緯で決まったんですか?
柴田「成田には一発試合で痛みを教えてやりたいなって思ってましたね。海外に行って一緒に練習して、良くはなっているって、そういう言い方はあれかもしれないですけど、良くはなっているんですよ。成長しているんですよ、アイツ自身。ただ何かのきっかけがあったらもっとバーンと跳ねるんじゃねえかなって、日々練習して、組んだり蹴り合ったりして思ってた部分があったんで、だったらオレが作ってやろうかなと。だったらオレがきっかけになったらいいかなと。アイツにとっては凄くいい経験になったんじゃないですかね? まあオレはこういう初めての復帰の試合になるんで、怖い部分と緊張の部分とあったと思いますけど、毎日一緒に汗を流しているから。ただ練習と本番とは違うよっていうのは、今日よく分かったんじゃないですかね? 鼻血出しながら。いい経験だったんじゃないかなって、オレは思います。ありがとございました。以上!」

出典:新日本プロレス

 

柴田勝頼の生き方

柴田勝頼選手が競技復帰した。

だが、ここからシリーズに帯同して、年間に100試合以上を闘うことはない。絶対に無いのだ。

柴田勝頼選手自身、レスラー生命について言及している。あと、残り数試合が限度だろう、と。

あれほどの大怪我を負っても現役にこだわった。

絶対に復帰する。

負傷直後は、腕立て伏せが一度もできなくなった。

その状態からLA道場のヘッドコーチに就任し、不死鳥のように舞い上がり、新日本プロレスの東京ドームで返り咲いた。

そして、キャッチレスリングルールではなく、プロレスルールを選んだ。

「成田!やれんのか!?」

弟子の覚悟を聞いた。

本気で俺とプロレスできるのか?俺はまだ生きていいのか?

令和の時代には古いかもしれない。だが、誰もが憧れてしまう真っ直ぐな漢気。

男は...みたいな言い回しは現代的ではない。そんなことを頭では理解しつつも、本能が頭の中に語りかけてくる。

「お前も漢なら柴田勝頼のように生きたいと思わないか」と。

自分の身体のことは自分が一番理解している。復帰した柴田勝頼選手が次に選ぶ選択は何か。

後藤洋央紀選手、オカダ・カズチカ選手、KENTA選手。そして、成田蓮選手。

柴田勝頼選手が次にコスチューム姿を見せる日を楽しみにしたい。

ちなみに。柴田勝頼選手の入場曲「Takeover」とは“引き継ぐ”という意味がある。

いつかの日が訪れた時、彼のエントランスミュージックを成田蓮選手が“引き継ぐ”としたら...。

これからも新日本プロレスも応援していきたいと思う。

2022年、初泣きは柴田勝頼と成田蓮の生き様だった。

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