KUSHIDA VS 棚橋弘至が決定した背景と世界を目指す理由

KUSHIDA VS 棚橋弘至が決定した背景と世界を目指す理由について語りたい。

2019年1月末日を持って新日本プロレスを退団することが発表されたKUSHIDA選手。ラストマッチは1月29日の後楽園ホール大会に決定。

記者発表時に行ったKUSHIDAの挑戦表明が実現する形で、新日本プロレスのエース・棚橋弘至がラストマッチの相手を務めることになった。

KUSHIDA選手 VS 棚橋弘至選手。

新日本の本隊としてヘビーとジュニアを牽引する2人のシングルマッチ。リングでもバスでも隣に居たパートナーが対角線に立つ。

もしもKUSHIDAがこの選択をしなければ見ることができなかった景色だったのかもしれない。

ただ、KUSHIDAは2018年の4月に棚橋弘至へラブコールを送っていた。

「棚橋さんどうですか?福岡、おたがいベルトを獲って、棚橋弘至vsKUSHIDA、IWGP王者対決、お願いできますか?」

「よし! まず獲らなあかんな」

『レスリングどんたく 2018』でそれぞれウィル・オスプレイ選手の『IWGPジュニアヘビー級ベルト』、オカダ・カズチカ選手の『IWGPヘビー級ベルト』に挑戦が決まっていた2人。

惜しくもベルト奪取に至らなかったため、実現こそしなかったが、この時にもしも2人がベルトを戴冠していたらこの試合はそれぞれが王者として迎えていた未来もあったのだと思う。

ここからはKUSHDAの門出を祝い、彼の功績についてしっかりと振り返ってみたい。

そう、物語は10年前。ハッスルを退団したところから始めよう。

※本記事は敬称略でお送りすることをお許しいただきたい。

 

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高田道場一期生

KUSHIDAは高田道場の第1期生として、総合格闘技の経験を積んでいる。試合で出場していたZSTでの対戦成績は8戦6勝2引き分け。つまり、無敗だ。総合格闘技から矢のようなオファーが届く中、彼が選んだのは「プロレスラー」として道だった。

単身“実費”でメキシコへと渡り、プロレス修行に励む日々。そして、念願が叶って太陽の国でプロレスラーデビューを飾った。

そして、この時メキシコには2人のレスラーが足を踏み入れていた。

棚橋弘至選手と中邑真輔選手である。

中邑真輔選手とKUSHIDA選手は格闘技時代から顔見知りだったのだ。

「何で高田道場の櫛田くんがメキシコでプロレス学んでるの?帰国したら新日本プロレスにおいでよ?」という声が掛かったという逸話もある。

現ロックスターのリップサービスは当時から華麗である。

2006年日本に帰国したKUSHIDAは新日本プロレスではなく、「ハッスル」の練習生として活動を開始する。オーディションから7ヶ月が経った時、日本マット界にデビューを果たした。

それから3年後の2009年。KUSHIDAは『ハッスル』を退団した。その理由は今回と同じ「世界を目指して旅立つ」だったのだ。

そしてこの時のインタビューでKUSHIDAはこう答えている。

――やっぱり最終的にはWWEでTAJIRIさんのような世界のスーパースターですか?

 

 それを目指さないとプロレスラーになった意味はないんで。小さい頃から憧れていた職業になったので、世界を目指さないと、と考えています。やっぱりプロレスで、チビッ子、同世代、おじいちゃん、おばあちゃんまで夢を与えたいですね。プロレス見たことない人にも、プロレスっておもしろいねって言ってもらいたいし。

出展:スポーツナビ

 KUSHIDA選手が尊敬している人は坂本龍馬と吉田松陰。 この2人に羨望の眼差しを浮かべる青年がなぜ、世界を目指すのか。その理由は簡単だろう。見たことない景色を見る、話したことない人と触れ合う。

それが大好物だからだ。

 

あの日も同じく彼は「世界」と言った 

その後、KUSHIDAは恩師であるTAJIRIの主宰するSMASHの所属となった。ここから新日本マットにも姿を現わすようになる。

少年時代から憧れた場所に立つことに成功したKUSHIDAは2011年3月8日に新日本プロレスへと入団を果たした。

その時の記者会見でもこの言葉を残している。

「俺は世界を目指す」

「世界に通用するレスラーになりたい」

この日から8年が経った。

『IWGPジュニアヘビー級ベルト』を6度戴冠。『IWGPジュニアタッグベルト』は2度戴冠した。

『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』を2度も制し、2016年の『スーパージェイカップ』でも優勝を納める。

KUSHIDAは新日本プロレスの生え抜きでは無い。しばらくはそこにコンプレックスを持っていたように思う。

ある時期、コスチュームにライオンマークを入れたことがあった。新日本プロレス所属になってもどこかで不安があったに違いない。

彼が完全にブレイクしたのはコスチュームからライオンマークが消えた後だった。

2014年以降の新日本プロレスジュニアはKUSHIDAが牽引してきた。これは紛れも無い事実である。

可愛い顔してえげつない攻めを魅せるKUSHIDAは、多彩な技と身体能力を武器に子供から大人まで多くのファンを獲得してきた。

プロレスの求道者はファンに媚びない。本をよく読むのだろう。コメントもウイットに富んだものが多かった。

そして、1月6日。新日本プロレスを退団することを発表した。

 

棚橋弘至とのシングルマッチ

SMASH所属としてのKUSHIDAラストマッチが行われる後楽園ホールに棚橋弘至ほ姿を現した。

「KUSHIDA選手を迎えに行く」とコメントも残している。

それほどまでに新日本プロレスジュニアの新しい宝として彼は期待されていたのだ。

その期待に応え多くの結果を残した。そして、新日本プロレス所属としてのマストマッチの相手は、棚橋弘至に決定した。

KUSHIDAのKADODE

これまでなも何度か試合をするという含みはあった。だが、新日本の本隊同士、当然のように対戦カードが組まれることはない。

「世界を目指す上で棚橋弘至に触れたい。本気でぶつかってみたい」

この想いが実り、棚橋弘至 VS KUSHIDAが実現したのだ。

ずっと世界を目指してきた。そして、新しい世界に飛び出す。その最後のジャンプ台として選んだのが現『IWGPヘビー級チャンピオン』棚橋弘至なのである。

まさにドリームマッチ。

中邑真輔壮行試合は6人タッグマッチだった。

この時も対角線には棚橋弘至の姿があった。

「中邑。頑張ってこいよ!」

という激励の言葉と同時に渾身のビンタを見舞った。

新日本プロレスのエースは思い入れのあるKUSHIDAにどんな言葉を投げかけ、プロレスの厳しさ、楽しさ、素晴らしさを伝えるのだろうか。

KUSHIDAを迎えに来た棚橋弘至は最後に送り出す役割も担うわけだ。

勝った、負けた。そんな小さな世界の試合じゃない。

男と男が同じ新日本プロレス所属として、初めて対角線に立ち、身体で会話するのだ。

この日、きっと多くの人が涙することにるだろう。

そして、心からKUSHIDAの選択を祝福し、送り出すことだろう。

「世界を目指す――」

このキーワードがずっとKUSHIDAの胸にあった。そのチャンスが叶う時がいよいよ来たのだ。

そして、プロレスとは旅である。旅の途中で会うこともあるだろうし、旅から「HOME」に戻ることもある。

旅は帰る家があるから楽しい。

KUSHIDAのKADODEを心から見届けたい。

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