KUSHIDAは新日本プロレスのレスラーとして世界へと旅立つ

2019年1月29日、13時30分。僕は所用を終わらせて、水道橋駅へと向かっている。

本日開催される新日本プロレスのレスラーとして最後の日を迎えるKUSHIDA選手のスペシャルシングルマッチを見届けるためだ。

そう、 KUSHIDAは新日本プロレスのレスラーとして世界へと旅立つ日を見逃すわけにはいかない。

油断した結果、チケットは現在手元にない。聖地・後楽園ホールには朝から並んでいるお客様もいるそうで、実際会場で試合を見ることができるかは分からない。

しかし、行動しなければ可能性はゼロである。もしもの可能性に懸けて電車に乗った。が、運転間隔調整のため微動だにしていない。

はやる気持ちを抑えつつ、今の気持ちを書き残しておこう。

以前にも書いたが、僕はKUSHIDA選手のことがあまり好きではなかった。

ベビーフェイスっぽくないベビーフェイス。可愛い顔したハードヒッター。真面目過ぎる気質とハングリー精神は眩しすぎて、何だか共感ができなかった。

怖いもの知らずのスタイルで新しい時代を作る自信を持って新日本マットに帰ってきた髙橋ヒロム選手がとても魅力的で、リマッチが続いた時には、「もういいだろ。。」とすら思っていた。

2018年に入ってからだろうか。そんな僕もどんどんKUSHIDA選手に、彼のプロレスに興味を持っていった。

キッカケは些細なものである。単純に『ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア』が面白かったことだと思う。

獣神サンダー・ライガー選手から託された新日本プロレスジュニアを牽引する役割。髙橋ヒロム選手の凱旋帰国、ウィル・オスプレイ選手、エル・デスペラード選手の台頭。SHO選手・YOH選手石森太二選手の襲来。

いつからか彼が一人で大きな荷物を背負っている感は無くなっていった。それと同時に出てきたのが、自身のプロレスを探求し、追求する求道者のような一面だったように思う。

クリス・セイビン選手とのタッグチームで黒のコスチュームを纏ったKUSHIDA選手を見た時には、興奮し益々大好きになった。

転校してきた優等生。いや、生まれた場所が違うだけの新日本プロレスを代表するレスラーがいよいよ本来の魅力を放ち始めた。

アレックス・シェリーと「タイムスプリッターズ」を組んで、新日本プロレスジュニアタッグの新時代を作ると豪語した時のように光輝いている最近のKUSHIDA選手はとても美しかった。カッコよかった。最高の試合を繰り広げていた。

そんな彼から出た言葉だけに「行かないで!」も「残念!」という気持ちもない。

これからの試合も応援するし、活躍し過ぎてヤバいくらいになって欲しい。

でも、ただただ寂しい。

「世界の隅々まで知りたい」

好奇心に満ち満ちた求道者を誰も止めることはできない。僕は同じ歳の男として彼を尊敬していることに気づいた。

ここまで書いてようやく電車が動き出した。が、今度は快速の通過待ちだ。こんな時こそあの言葉の出番だろう。

「あっせんなよ」

いやいや、今日ばかりは焦ってるよ。

 

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バックトゥーザフューチャー

時間を巻き戻せるならいつの時代の自分に戻りたい?

色々と思うところはある。

もっと“いい勉強”の仕方を覚えるために学生時代の環境を変えるとか。

あの会社でもう少し踏ん張ろうぜ?とか。

高校の時にワールドプロレスリング見てたんだから、その勢いでプロレスにハマっておけよ?とか。

うん。後悔は先に立たない。だから後悔しないように生きるしかない。

でも、今しかないよな。

と、稀に思うことがある。今、この道を歩んでみたいなって思うことが時折あるのだ。

誰かが呼んでる気がする。何かが起きそうな気がする。実際は、起きないことも多いんだけど。

でも、そうなってしまった人間は誰にも止められない。

今の環境に不満があるとかないとかそう言った話ではないのだ。

行かなきゃならないから行く。留まってモヤモヤしている自分の未来を想像したらいつか必ず後悔する。

どっちを選んでも後悔する日は来る。であれば、その瞬間、瞬間の自分に素直でいたい。

KUSHIDA選手は今日、新しい旅に出る。

恋い焦がれたセルリアンブルーのマットに別れを告げて、たくさんのお守りを持って。

まだまだ後楽園ホールには到着しない。

 

なぜ、棚橋弘至なのか

棚橋弘至選手は悟りを開いているかのように寛大だ。革命を成し遂げた男は見ている景色が全然違うと思う時がある。

2016年1月30日に行われた中邑真輔選手の壮行試合。彼は「中邑!頑張ってこいよ!」と声を掛けた後にビンタを見舞った。

2人はライバルだと言われるが特に大きな因縁はないと思っている。

先に栄冠を掴んだ後輩。新日本プロレスを復活させると人生をプロレス、いや新日本プロレスに懸けた先輩。

そんな背中を見て、新しいレスラーたちも成長を重ねてきた。

KUSHIDA選手は棚橋弘至選手が迎えに行った選手である。巡業バスの席はいつも隣。

新日本プロレスのエースが棚橋弘至選手なら新日本プロレスジュニアのエースはKUSHIDA選手だった。

そして、新日本プロレスの月を見送った男が今度はジュニア戦線を切り裂き、己の道を貫いた男を見送る。

一体どんな試合が繰り広げられるのだろうか。

無事チケット購入

後楽園ホールの前に到着すると、既に長蛇の列ができていた。

「これチケット買えるのかな」

という一抹の不安と買えた時の楽しみを胸にひたすら待つ。残っていた原稿も書く。

無事に何とか立ち見席のチケットを購入できた。後楽園ホールの立ち見席は初体験である。

まだまだ開場まで時間があるので、近場のお店に入って今、このパートを書いている。

寒空の中待機する楽しみな待機時間もいいものだが、そろそろIT化が進んだ今だけに、Web抽選に移行してもいい気がしている。

GPSで半径〇〇メートル以内に入らないと申請できないようなロジックを組めば変な応募は減るだろう。

待機していた時間を消費に使えるので、経済も回るし一石二鳥である。

そんなことを考えながら「温まる飲み物」を口にしていた。

後楽園ホール

当日の後楽園ホールは大盛り上がりだ。僕の愛する高橋裕二郎選手と石森太二選手のタッグマッチや矢野通選手、真壁刀義選手、本間朋晃選手のG.B.Hなど、どこを切り取っても見どころ満載。2019年、新しい年号に差し掛かるタイミングでも新日本プロレスは層の厚さを感じさせる。

書きたいことはたくさんあるが、やはり今日はメインイベントだろう。

棚橋弘至選手VS KUSHIDA選手である。

KUSHIDA選手の入場時、有志によるボードが配布されていた。タッチの差でボードを手にすることはできなかったが、そんなことは些細なことである。

この日のために全力で準備してきたボード。KUSHIDA選手のために手がけたデザイン。その絶景が目に飛び込んできた時、僕は最初の涙がこぼれていた。

グラウンドの攻防

 KUSHIDA選手と棚橋弘至選手はそもそもウエイトが違う。

年末の那須川天心選手VSメイウェザー選手ではないが、体重差が圧倒的な力の差を生むことは誰の目にも明らかだ。

 KUSHIDA選手は徹底してグラウンドの攻防に徹した。寝技になれば体重差、体格差は最小限に抑えられる。

「グラウンドテクニックでの勝負」

ストライカーではなく、完全にグラップリングで勝負を挑む。この土壌であれば、例え相手が『IWGPヘビー級チャンピオン』であっても、高田道場出身であるKUSHIDA選手に軍配が上がる可能性は十分にある。そう思っていた。

大横綱の強さ。そして、深さ

この日、棚橋弘至選手は普段と明らかに違った。自分に歓声を求めるパフォーマンスはゼロ。

KUSHIDA選手の膝を徹底的に痛めつける。とことん、愚直に真っ直ぐに試合の物語を紡いでいく。

この日の棚橋弘至選手は新日本プロレスの門番だった。そう、まるでこれから海外遠征に出る新しい可能性を送り出すかのように。

丁寧にじっくり、そして激しくKUSHIDA選手にダメージを与えていく。

試合中盤、KUSHIDA選手はミッドナイトエクスプレスを繰り出す仕草を魅せた。だが、棚橋弘至選手はその動作を静止させた。

なぜ、ミッドナイトエクスプレスを飛ばせたくなかったのだろうか。

その答えはKUSHIDA選手の新日本プロレス公式スマホサイトにある日記に答えがあったように思う。

2011年6月25日に公開された第2回だ。スマホ会員の方はそのまま記事を見て欲しい。非会員の方はぜひ、会員になって日記に目を通して欲しい。

「深夜特急」が今のKUSHIDA選手に相応しくないことが分かるはずだ。

 

テキサスクローバー

棚橋弘至選手は終始膝を攻め続け、最後の最後にテキサスクローバーホールドを繰り出し、KUSHIDA選手からタップアウト勝ちを掴んだ。

試合途中からテキサスを出すそぶりは何度もあった。棚橋弘至選手は何故、テキサスクローバーホールドにこだわったのだろうか。

僕は棚橋弘至選手は新日本プロレスのレスラーとしてKUSHIDA選手が体験出来なかったことを最後の試合で伝えようとしているのだと感じた。

ヤングライオンの試合は逆エビ固めで多くの試合が決する。

技を受けている側はプッシュアップをしてロープを目指すことで明日への一歩を掴む。

これが新日本プロレスの伝統である。

身長とタイミングが時代と合わなかったため、KUSHIDA選手は新日本プロレスのヤングライオンを経験することができなかった。

そのコンプレックスはコスチュームにライオンマークを入れるほどに根深いものになっていた。

2017年。YOH選手から「頭のいいハイエナ」という言葉が出た。誇り高き獅子の血統。純正培養の新日本プロレスのレスラーではないということは、一生付き纏うキャリアなのかもしれない。

だからこそ棚橋弘至選手はあの技でタップアウトを取ろうと何度も試みたのではないだろうか。

「クッシーは新日本プロレスのレスラーだよ」

そんなメッセージがテキサスクローバーホールドからひしひしと伝わってきたのだ。

中邑真輔選手の壮行試合のように激励の言葉はない。

ただ、試合を通じて、いやこの1試合でKUSHIDA選手が唯一新日本プロレスで経験できなかったことを伝えようとしたのかもしれない。

これから世界中で胸を張って「新日本プロレスのKUSHIDAです」と言えるように。

四つ葉のクローバー。棚橋弘至の愛

そして、もう一つ。

テキサスクローバーホールドには意味がある。

日本名である「四つ葉固め」。四葉のクローバーの葉にはそれぞれ意味があるが、4枚揃っての意味があるという。

True Love (真の愛)。

愛を叫び続けてきた棚橋弘至選手がKUSHIDA選手に贈ったのは、彼の未来を心から応援する「真の愛」だった。

見つけた人には幸運が訪れるという四つ葉のクローバー。

KUSHIDA選手がタップアウト負けしたことも何か意味があるのかもしれない。

この8年で最後に見つけたお守り、ホバーボートロックで散々タップアウト勝ちを掴んできたレスラーに降り注いだのは、棚橋弘至が愛を込めた美しく、気高い四つ葉のクローバーだった。

まさにウォール・オブ・エースだ。

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KUSHIDA Future Boy Tシャツ L

KUSHIDA Future Boy Tシャツ L

 

決着。旅立ち

試合後、ジェイ・ホワイト選手が乱入を果たし多くのブーイングを浴びた。

余談だが、ジェイ・ホワイト選手は新時代を切り裂いて作りだす男である。彼のアクションがキッカケで『ゴールデン☆ラヴァーズ』は再結成し、オカダ・カズチカ選手と棚橋弘至選手のタッグチームも誕生した。

切り裂いた先にある新時代。それはディストピアではなく、誰しもが見たい景色が広がっている場所なのかもしれない。

ジェイ・ホワイト選手が去った後、KUSHIDA選手はマイクを持った。

お別れのときだ。

彼は「多くのお守りを持って旅立つ」と宣言した。いつだって旅立つ側と見守る側がそんざいするのが人生である。

彼はプロレスとは人生であると何度も何度も言い続けてきた。

今日、この試合を持ってKUSHIDA選手は2度と新日本プロレスのマットに立つことも、巡業バスに乗ることもないのかもしれない。

ただ、目に心に人生に刻み込む価値のある濃密な試合を見せてもらった。

彼が選んだ先はまだ分からない。ただ、どこに行っても影ながら応援し続けたい。

この広い海の向こうに世界がある。

海はどこまでいってもつながっている。いつかまた、いつかまたここ日本で彼のプロレスが見たい。

旅は帰る場所があるから旅になる。KUSHIDA選手の帰るべき家は新日本プロレスに、これまで応援し続けてきた僕たちの心の中にある。

最後に、内藤哲也選手が当日のバックステージでKUSHIDA選手にこうコメントを出していた。

ところで! 今日はKUSHIDAのラストマッチ? どうでもいいよ! いなくなるなら、さっさといなくなれ。そして! 二度とこのリングに帰ってくんな! カブロン!
出典:新日本プロレス

そして、丁度3年前の2016年1月29日、田口隆祐選手は旅立つ中邑真輔選手にこうメッセージを残していた。

まぁ最後といってもね、引退するわけではないですから。引退するわけじゃないんで、またどこかで会うでしょうから。まぁこの世界、戻って来るのがよくあることですから。まぁでも一番は成功して、戻ってこないってのが一番ですからね。まぁボクが向こうに行くことはないですけど。まぁ成功しないで、戻って来てほしくはないですね。成功して戻って来なければ、それが一番です。戻ってきたなら、またやりましょう。
出典:新日本プロレス

新日本プロレスのことを忘れてしまうくらい、KUSHIDA選手には成功して欲しい。

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